元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「思想は平易なコトバで」批判

人生観、のような、思想の話

  • 「思想は平易なコトバで」批判

思想は常に平易なコトバで語られるべきだと思います。

ということを、何百人何千人という先達が言ってきたのですが、ほぼ実践されていません。

彼らが「平易なコトバ」と信じて紡いでいるコトバたちがまったく平易ではないのです。
そこに大きなカンチガイがある。

彼らは、「これぐらい読み込めよ」と思っている。自分の文章の難易度をしきい値であると勝手に考え、それについてこれる人間しか受け入れようとしない。

「難しい文体」イコールただ読みずらいだけなのです。


まったく、閉じた世界です。
思想、哲学の世界がまったくオープンになっていかない。

なぜなら、そこはまだオタク文系の巣窟、聖地、「駆け込み寺」だからです。

お互いに上滑りするコトバを並べで悦に入っているだけ。
傷を舐めあっているだけ。。


読書というのはまったく、悪い習慣ではないはずなのに、コドモのころ本だけがトモダチだったようなヒトたちが思想、哲学のフィールドで活躍されているようでして、まったくもって大衆的でない。

コドモのころ、本がトモダチだという状況からして一般的ではないのです。

コドモのころというのは、学校の勉強も読書も、イヤイヤやるのがふつうなのです。

そういう「ふつう」を経てきた(僕らのような)人間には思想も哲学も与えられないというのか?
そんなはずはないでしょう。


僕らはそういう、コドモのころ本がトモダチだったようなヒトたちから上から目線で思想や哲学を教えていただきたくないのです。

なぜなら、コドモ時代に僕らがそういう子らを見下していたような気がするから。