元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

加工食品、添加物によってゆるやかにコロされている我々

人生観、のような、思想の話

  • 加工食品、添加物によってゆるやかにコロされている我々

加工食品、添加物によって我々人類は自らの寿命を縮めているのでしょうね。

特に日本人は。

人類は種体維持のために、「間引き」のために戦争をしなければならない、そういう遺伝子が組み込まれている、と読んだことがあります。

であれば、戦争のない時代にはどうなるか?

人間は、直接的に自殺することも、個々が戦争というシチュエーション以外で他人を殺すことも、自制がきいてなかなか難しいので、ストレスがたまって何をするかといえば、じわじわと(気付かれないように)ヒトを殺す。

そして、同じように自分を殺してゆく。


大量のスナック菓子やらコンビニ食品やら、先進国の人間は安くて「あたかも食料のような物体」を生み出し、一見、これらは先進国の飢えを救っているようにみえますが、実はそうではない。

こういう食品を生み出している人間の側は、意識上はこれっぽっちも、この食品が人間をゆるやかに殺しているなどとは、思っていない。そういった、「ゆるやかにヒトを殺している意識」はDNAしか知らないことだから。

そして食べている側も、加工食品などを食べて自分が自分をゆるやかに殺しているなどとは思っていない。


直接的因果関係が解明されないにしても、そういった食品により我々は不快な病気にかかっているようです。

野生の動物は病気になりませんが、家畜やペットは人間の真似をしているかのように病気になり、飼い主の手をわずらわせます。
それは、加工食品を食べているからです。

そして、野生の動物が病気になるときは、それは何か運の悪いことであり、即死にます。野生の動物は病院にいって延命などしない。

戦後、我々日本人の「老い」はどうなったか?
加工食品によりゆるやかに殺されて、老人は、身体のあちこちに痛みや病気を抱えて、薬漬けになってそれでも生きて(生かされて)います。

殺されて生かされている、というのが矛盾しているように思いますが。。これが現実。

これが、戦後の「報い」です。この報いはおそらく、食品のせいだけではないのでしょうが、戦後に劇的に食べ物が変わったから、というのもひとつの大きな原因としてあるでしょう。

このままだとどうなるか? わかりますか?
人間の寿命は確実に縮まってゆきます。なぜなら、「老い」が始まるのが早まるからです。現代社会の生活サイクルは、速すぎるのです。ですから、実生活時間があっという間に流れ、「老い」が始まるのが早まるのも自明のことです。

老いが始まるのが早まるとどうなるか?
それは、身体にガタがくるのが早まるということです。あそこが痛いだのここが痛いだの常に不快感を抱えながら生きてゆく期間、これが開始されるのが早まる。

「老い」とは、外見ではないのです。たしかに最近は「60歳にみえない!」といわれるようなヒトが多くなってきました。

なぜヒトの外見は、「老い」の時代であっても若さをキープできるようになったか?
それも人間の進歩です。人間が「必死に」若さをキープするための手法をあみだし、改良していったのです。ただし残念ながら外見だけ。。


人間は、ちょっとあまりにヤバいなあと思ってきたらしく、最近食品についても見直しがされたりしています。有機野菜が奨励されたり添加物が悪者扱いになってきたり。

これは、悪いことではありません。ヘンなイデオロギーや、あるいはあくどいビジネスと結びつかなければ。

考え方は間違っていないのですが、その展開手法でイヤラしい人種が介在してくるとやっかいなことになるのです。
そして現在厄介なことになりはじめています。

食べること、をビジネスと絡ませないほうがいい。戦後の日本は食をモンスタービジネスに成長させることにより、自身をゆるやかに殺してきたのですから。

有機」というコトバがあまりに一人歩きしていたり、農業が不自然にもてはやされている状況は、見ていてちょっとアブナいと感じます。

再録

ラーメンの価格高騰については、ずっと疑問を持っているのですが、カレーも同じです。特に、スナックとかが昼、小銭を稼ぐために片手間で出すカレーを¥800とかで出している。

東京のランチの価格帯と比べると、一瞬「安いかも」と考えますが、まったくそんなことはない。

私の持論は、ラーメンも「おふくろの味系」カレーも、立ちそばぐらいが適正価格である、ということです。

別に客は求めちゃいないのに、材料にこだわったとかなんとかいって、結局はただ値段を上げる口実をつくりたいだけなのです。そしてそれをもてはやす、ラーメン屋にヘーキで行列する人種。。

私の愛する(?)カレー界もそうなってきているから、警鐘を鳴らしたいのです。鳴らす相手は店側にではありません。客側だよ。

客のほうを向いてない自己満足のこだわりなど、無用なのです。