行く途、帰り途
なぜ自分は、同じ道を行き帰りすることに耐えられないのか?(ルーティンワークは苦にしないのに)
それはどちらも同じ「課」ではないのか?
先日たまたま書き出したこの疑問について、深く考えてみたいと思っているのですが。。
なかなかひらめきがなく。。
結論としては、「ミチクサ」っていうのは自分にとって特別なことなんだ、ということかな。
毎日毎日同じ道を行き帰りしていると、「ミチクサ」の機会損失が発生している、と、身体が焦りだすというか。。
でもそういえばありがちなサラリーマン像というのは、帰宅できずに一杯飲み屋にふらっと、なんていう構図でしたよね、ムカシは。今はそんなことはあまりないですけど。。
同じ道を行き帰りできない、という点では似ているかも。
(再録おわり)
そうか、一杯飲み屋で独りたたずむ哀愁のサラリーマンというのは、「ミチクサ」してるわけですね。今ひらめきました。
僕は、ミチクサする対象として「街」を選ぶわけですが、彼らは飲み屋を選ぶ。その違いだけ。
「まっすぐ帰りたくない」という点では同じですか。。