元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ケミカルな薬品の件(序論)

ミチクサ(散歩、都市論etc)

  • ケミカルな薬品

なぜ有機野菜とか、食物を気にする時代になってきているのに、身体に入れるケミカルな薬品、缶
飲料などは完全ノーマークなのでしょうか?

ということを、重点的に考えてみようかな、と思っています。(【重要】マーク)

端的にいってしまえば、食品業界はガードがほころんできているが薬品業界はまだまだガードがカタい、ということなのでしょう。

そういう政治的背景を追いかけるのではなく、我々庶民側の心境について考えたい。

たとえば継続的に食生活をカイゼンしていても、定期的にケミカルなサプリメントを摂取していたり、持病とやらで薬品を投入していたり、定期的にわけのわからんペットボトル飲料を摂取していたり、そっちのほうは全くカイゼンされていないわけです。まさに「アタマかくして尻かくさず」。

そういうヒトたちは、やがては総合的に、自身の口から身体に投入されるものすべてに気をつかうようになるのか? といえばNoだと思います。

それは、なぜなのでしょうか?

なぜなら。。(ああ、結論がもう出てしまった)「彼ら」はトレンドを追っかけているだけだからなのです。
で、そのトレンドというのはほとんど、「上からの圧力」に左右されています。トレンドというのはマスコミが生み出すものだからです。マスコミというのは政治だの広告業界だの、複雑怪奇なモノたちに支配されています。

そういうマスコミがたまたま、有機野菜だのなんだのを世に広めることを「許可」した。なぜ許可したかというと添加物をばりばり使っている食品業界の売り上げへの影響が、それほどないということがわかったからでしょう。

つまり、共存できるのです。有機野菜だのなんだのは、高い。高いから、いわゆる「カシコい」ヒトたちはそっちに走るかもしれませんが、愚民はまだまだ食品業界の奴隷として存在してくれるだろう、と。

ケミカルな薬品系は、それのカウンターとなる何か、(「自然薬品」?「民間療法」?)のマスコミからの「流布」をまだ「許可」されていない、と。
そして、ケミカルなものがいかにも健康的である、という認識を、大々的プロパガンダにより形成されています。それがまだまだ、強い。強いので安心しているのでしょう。

でもね、かつてタバコに、申し訳程度に小さい字で「あなたの健康をそこねることがあります」と書いてあったように、ケミカルな薬品についても、「薬には副作用があることがあります」みたいなことは申し訳程度に書かれています。
だから、「書いたじゃん!」と免責されてしまいます。

再録

我々庶民と、学者、そして坊さんは、「分業」ですよね?

つまり、学者は、庶民と坊さんの代わりに学問を深く追求し、坊さんは学者と庶民の代わりに修行を続け、庶民は学者と坊さんを養うために市井で働く、と。

だから、学者は庶民に叡知を、坊さんは庶民に「安らぎ」を与えてほしいと思うのです。

この基本に立ち返りたい。庶民はなんでもかんでも吸収できません。時間もないのです。


真の「三位一体」というか。。(ホントは「三」ではないかもしれませんが)

この「三位」のどこからゆる〜くなってくる、つまり、努力を怠ると、すべてがゆるくなってきます。それが今の状態。

なんだか「勝手にしやがれ」の「密告者は密告し、保守主義者は保守し、愛人たちは愛し合う」を思い出しましたが。。ちょっと違いますかね。
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