AKIRA
本来の日記部分
日記もGWで、しばらくオフラインの場所にいきますのでお休みします。
my格言・my座右の銘(自作自演)
- マイナーメディアに精通しているという自己陶酔はキープしつつ、自分のアンテナに引っかかってくるものはメジャーであるべきだ、というプライドが、「サブカル根性」(20070524)
人生観、のような、思想の話
- AKIRA
「根源的な闇」というコトバから連想されたのは、漫画の「AKIRA」の。。
- 作者: 大友克洋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1986/08/21
- メディア: コミック
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「そこ」はいったい「どこ」だったのか? を、まだ幼かった僕は、まったくわかりませんでした。
今でもわからないのかもしれないけれど。。その金田たちが「いってしまった」ところこそが「根源的な闇」の世界ではないか、と。
漫画では、金田は結局、同じく覚醒を始めた「鉄男」の能力により、現在の次元に「帰還」する。それまでに金田は何をみていたのか?(あるいはその期間、時間の経過はないのか?)
ミヤコ様(新興宗教教祖)は、なぜ、金田が「今はいない」(でもやがて帰還する)ことを予見できるのか?
「そこ」に対する妄想を膨らませたいわけです。「そこ」は闇だけれどもそこを超えると「光」の世界なのではないか?とか。
再録
たまりにたまった日常の作業を、ぶーぶー文句をいいながらやっている姿は、真底見苦しいものです。
日常の作業をためるのは自業自得です。1日数分、それにかけることを習慣にしていれば、たまってゆくことはないのです。
そういうヒトほど「忙しい」を言い訳にしますが、1日数分を空けることができないほど忙しいヒトは、この国の庶民の中にはいないのです。
「ためないと、威張れない」というのがあるのでしょうね。ためてためまくって、ぶーぶー文句言いながらも「自分はやってる」ということを誇示したい、と。日常で1日数分、スマートにこなしてしまうと、それは誰も見ていないことになるので、その人にとっては許せないのでしょう。
「ガンバッてるひと」「できるひと」に見られたいという行動がアダになっているように思いますね。あまりに見苦しくて。
そういうヒトは常に不満足感を抱えながら生きてゆかなければならない不幸なヒトになってゆきます。不満足であることが常態化するというのは、何と悲しいことでしょうか。そしてそこから抜け出す手段はあるのに、それが居心地がよくて(常に言い訳できるから)抜け出さないという。。
これこそ現代人の病でしょう。