元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「器」問答

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 反面教師:現代人は「トラウマ」作りたがり(20070818)

人生観、のような、思想の話

  • 【重要】問答

器が大きいというのは「寛大」ということだけじゃないのです。
「寛大」じゃ今の世の中、ナメられてしまうわけで。

寛大プラスアルファ。というのはわかっているのですが、そこからがなかなか進まない。。この日記にはそれがわかる手がかりになるはずの断片が散らかっているはずなのですが。

器が大きいヒトになりたい、というのはおそらく僕の一生の目的になるであろうし、そのために、「器が大きいとは何か?」をずっと探ってゆくんだろうな、と思います。

前に書いたことを思い出したのですが、「器」というのは、生来のものと、人生経験によって拡がるところがあると思います。
生来のものは、いまさらしかたないので、その後拡げられるほうについてですが、それを最大限に拡げてゆくためには、質の高い人生経験(の継続、蓄積)が不可欠なわけです。
ですから僕は貪欲に質の高い人生を模索している。

ということは次に「質の高い人生とは?」という問いになってくる。
それの、今のところの結論としては「ケイゾク」がキーであって、非日常を常に追い求めて、常に「通奏低音としてのかすかな不満足感」を抱え込んでいるような人生ではゼッタイにダメだ、と。

それは、確信があります。
自分の人生を肯定しないといけません。不満足感は払拭しなければならない。

次に、「自分の人生を肯定するためには?」ですが、それは「身のほどを知る」に他ならず、「身のほど」とは「器」なわけです。

「器」にもどってきました。


「器が大きいヒトになるにはどうしたらよいのか?」が、「身のほどを知る」にたどりついたわけです。身のほどが「器」なのであれば、身のほどを知るとは自身の器を知り、それにふさわしい生活を送るべし、ということになる。
堂々めぐりして、結論としては「器が大きいヒトになる」ためには「自身の器にふさわしい生活を送るべし」

これはおもしろいことになってきましたね。。
(たぶんつづく)