元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

くじに当たらない

自分について

  • くじ

くじに当たったこと、ありませんねえ。。先日、お年玉年賀はがきがひとつも当たらなくて、グチりたくなりました。3年に1度は全敗。2度は、切手シート1枚のみ、というサイクルです。

人生バランスである、というのは間違いないですから、いつかドカンと、良いことがあるのか、それとも良いことが今まで小出しにきていて、致命的なことがなかったということなのか。。

一度はビッグ・ウェーブに乗りたいものですね。あるいは、常に自分の人生を及第点と思っているということは、それ以上のことはないのかもしれませんね。でも、及第点を「合格」に引き上げたい、とは常に考えているのですが。そのためにはドカンと何か。。というふうに「他力」に走るのが、よくないのでしょうね。。

再録

都心に住んでいるということで、田舎の親戚とか、知り合い(特に、地方出身で、東京周辺に住んでいる人たち)に、「芸能人をみるか?」と期待されることが多いです。

本当にただ見るだけなら、たまにお見かけするので、こちらもその期待に応えて、「○○をロケで見た」とかお答えしていますが。。(相手の喜ぶ顔を見るためならば!)

だからナンなの、という気がしないでもありません。

都心住まいの知人(つまり、私)に期待してるのは結局それかよ、みたいな。。

もし「芸能人なんか会わないよ」なんていったとしたら、そういう人たちは私の存在を全否定しかねません。嫉妬も込みで。。

「なんだ、芸能人と会わないんだったら高い金出して都心に暮らしても意味ねーべや」みたいな。。

彼らは、あわよくば、芸能人と必ず会える洒落たスペースにエスコートしてほしい、ということを私に期待します。私はそのような店とは縁がないので。。

もしお断りしたら、それでも私の存在を否定しにかかることでしょう。

「なんだ、都心に住んでるんだからそういう店いっぱい知ってると思ってた。。(都心に暮らしても意味ねーべや)」と。。

今はインターネットが発達していますので、ぜひ自分で検索していただきたいものです。