元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

限界を設定すること自体間違っている(ココロを鍛える)

人生観、のような、思想の話

  • 限界を設定すること自体間違っている

何か苦しいことが起こり、「もう耐えられない(かもしれない)」とココロの中で思ったとき、それをそのまま「耐えられない!」と外に向けて発言するのではなくて、どこまでもどこまでも、飲み込んでゆくべきだと思います。

それこそが、昨年より僕が考える「ココロを鍛える」ということ。

ウェイトトレーニングと理屈は同じですよね。身体に負荷をかけるように「ココロ」(とやら)にどんどん、負荷をかけてゆく。

ウェイトの場合、負荷をかけすぎるとケガをします。ココロのトレーニングの場合、あまり負荷をかけると「トラウマ!」になるようです。

ところが、世の中の多くのヒトが誤解しているのですが、ケガがいつか直るように「トラウマ!」もいつかは直るのです

そして、重傷の場合、なおっても何かの拍子に傷がうずくかのように、重度の「トラウマ!」であれば、何かのひょうしにいつも思い出したりします。
でも、軽い「トラウマ!」なんてすぐ忘れます。なんでもかんでも「トラウマ!」と大仰に考えすぎのところがあるんですよね、日本人って。


ココロと身体は密接に関係しています。そんなことはアタリマエです。
持病があったり、たとえば腰痛とかそういうのを抱えていたりすれば、ココロも晴れません。

同じように、ココロに負荷がかかり、「耐えられない(かも)」ということが続けば、身体も壊します。
でも、せめて、軽く身体を壊すぐらいまでココロに負荷をかけてみないと。。
ココロを壊して直して、壊して直ってを繰り返し。。

「耐性」を作っておかなければならない、ということです。
そうでないと、きたるべき、真の「トラウマ!」ビッグ・ウェーブがやってきたときに、ココロごと飲み込まれてしまいますよ。
人生にはそういう乗り越えなければならない危機が必ずやってくるわけだから、そのときに備えておかないといけません。

再録

仕事がつまらない、とか、現状への不満を持っている人たちは、「風邪ひきたがり」で、ことあるごとに体調を崩して休みますが(そして、そのなかのいくつかは仮病でしょう)、彼らは人生において休息をとりすぎています。そのペースでは永遠に現状に満足できませんが、その代わり長生きはするでしょう。

さらにそういう人たちのうちの多くは、風邪(あるいは病気)を治すすべを知らない、というか、長期間ずーっと風邪をこじらせていたりします。あれは精神的なものだと思います。元気な状況に戻りたくないのでしょう。いつまでも「体調が悪くて。。」と言い訳していたいのです。

たとえば、仕事に充実感を感じていたり、好きな仕事をしていたりしているときは「風邪なんかひいていられない」状態になります。それは、仕事でなくともよいのですが。

私の父は、自分の仕事に責任を持っており、数十年風邪をひいていないと言っていました。実際は誇張があるのでしょうが、数十年、風邪を理由に仕事に穴を空けたことがないそうです。

ただし、父は仕事に対して「好き」という感情を持っていたわけではありません。常にしんどそうではありました。が、仕事でもなんでも、「自分を待っている人がいる」という感情が自分を奮い立たせる、ということなのでしょう。

父は、風邪をひいたことはなかったのかもしれませんが、1、2度大きな病気をして都度1ヶ月ぐらい休んでいましたので、風邪という休息のサインを無視したとしても、人生においてはどこかで休みをとらなければならない、ということなのでしょう。

私は、「風邪なんかひいていられない」状態になったことはないし、かといって「風邪ひきたがり」でもないので、その間をとって風邪は「年1〜2回」なのでしょう。