「変わりたい!」
自分について
- 「変わりたい!」
内在的な「変わりたい!」という欲求のみで、たとえば麻薬に頼ることもなく、精神的麻薬であろう「自己啓発セミナー」的な外的トリガに依存することなく、ここまで変わってきたというのは、もうすぐ「自分を褒めてあげたい」ところまできていると思います。(ただし、まだです)
ひとつ例をあげればタバコですが、タバコは未だやめておらず、月に3〜4本吸っていますが、このペースで4年ぐらいずーっときています。5年経過したら、大丈夫かな、と思っていますが。
完全に禁煙しない、というのは自分で決めたことです。なぜならば、たまに吸うたばこは非常においしいので。これを辞めるテはありません。
同じように、缶コーヒーは1日数本=>週に1本ぐらい、スターバックスは1日1杯=>月一ぐらい、という感じで減らしています。
酒は。。ここ数年来の重要テーマですが、酒を飲む機会は月に1〜2回、ゼッタイになくならないので、目標は晩酌禁止ということにしています。(もちろん飲み会の深酒も禁止!)
深酒ほどカネのムダ使いはありませんね。翌日の体調に支障をきたす、カネはかかる、結局深酒してもストレスは晴れない。。
酒量は、少しずつ減ってきました。
タバコも酒もコーヒーも(そして、全体的なムダ使いも)、誰かに強制されて減らしているわけではありません。小遣いが減ったからでもありません。(もともと小遣いは少ないですが。。)
ただただ、イマ風のコトバでいえば、自身を「2.0」にバージョンアップしたいがために、やっているのです。そこには金銭的見返りはほとんどない。(カネが浮く、というのは確かにありますが、それが主目的ではありません)他人から評価を受けることもない。
ですが、自身が健康にはなるかもしれませんね。でも、意図的な健康志向というわけでも、ありません。
この、数年間続く「緩やかな衝動」はいったいナンなのでしょうか。自分でもよくわからなくなることがあります。
ああ、そういえば、コドモが生まれたから、という強烈なトリガはあるのですが。。
果たしてそれだけなのだろうか。
再録
この現代社会(都心)で、「子供のケンカに親は口を出すな」と言う人は、自分の子供がイジメをやったときのエクスキューズを準備しているだけのような気がします。そして実際、そういう親からイジメをする側の子が育つ確率は高いような気がしますね。
子供社会に積極的にとはいわないまでも、関連を持とうとする親の子は、他人をいじめない(確率が高い)。断言できないのが弱いのですが。。
放任を気取っている親は、子供の行動を把握していないわけです。それは、他人の親からみたら怖いことです。
教育方針がびしっと決まっていようがいまいが、他の家の子供を陰湿にイジメるような子にはさせない「方向で」子育てをするわけですよね? 誰もが。大勢で一人をいじめないとか、ケンカをするなら正々堂々と、とか、他人には親切に、とか。そんなことはどの時代も100%当たり前でした。世の中が変わったからといって、その、躾の根幹の部分は何ら変わっていないじゃないですか。
もし子供がイジメをやるようになったら、それは子育ての失敗であって親が全面的に悪いに決まってるじゃないですか。そこで「子供のケンカに〜」を持ち出したって説得力はないのです。
育児を失敗した親に責任を取らせる手段はないのだろうか。。
親に放任されている子が学校でのさばっているのだとしたら、それはシツケをされてない犬猫と同じように危険きわまりないです。それを教育者側はわかっているのでしょうか。
イジメがもしも、統計的に増えているのだとしたら、それはイコール、親の質が低下してるということです。で、前にもいったとおり、戦後民主主義の薫陶を受けた世代とまさに合致しているのです。
きちっと躾、子育てをやっている親が馬鹿を見るような社会になってゆきそうな気がして、仕方がないんですよね。。
せっかく、性根の優しい子に育てても、学校に通わせるうちにそうでない「悪」に染められてしまう。。公立への進学を不安がる親のほとんどはそういう考えでいるわけでしょう。公立学校側は、それを真摯に受け止めているのでしょうか。民間企業だったらそういう風評が立ったら、大変ですよ。
個性を伸ばす教育が花盛りなのであれば、優しいという個性を持った子は優しいまま、絶対にイジメられないような環境で育てて、それが温室栽培でもいいじゃないですか。個性を伸ばすというのはある意味温室で育てるのと同じですよ。
優しい子が、イジメられて、優しくない子(親の教育の失敗の結果)がのさばる、という、私の知らない「子供社会」という名の別世界がそこかしこで形成されているのだとすれば、虫酸が走りますね。
せめて子供社会ぐらいは、大人社会の悪い影響を受けないでほしいです。
子供を隔離された世界(義務教育)に一定期間おくのは、理想主義と批判されても、「良い子」に育てたいからでしょう? 大人社会を早くから学ばせる必要はないでしょう。「良い子」が増えれば世の中も少しずつ変わるかもしれないじゃないですか。