元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

カネを貸している人間が「なぜか」海外旅行とかに行く

人生観、のような、思想の話

  • 借金のハナシ

カネを貸している人間が「なぜか」カネに困っているはずなのに、海外旅行とかに行っている、というのは、私が実際何度か体験したケースです。(そして、貸している私は、海外旅行などいけるはずもなく)
人間関係の薄い私ですらそういう経験があるのですから、世の中にはそういう経験をした方も多数いらっしゃるのではないかと思います。

そういう人間とは絶縁しても何ら問題ないと思います。いえ、絶縁「すべき」でしょうね。
カネは早々に諦めて、こちらから連絡するのはやめましょう。あちらからの連絡も、やんわりと伝えて、連絡してこないように仕向けましょう。

が、親類は別なのです。親類は「特別」なのであり、それは仕方のないことなのです。


決していわゆる「社交的」ではない自分がそういう目に遭遇しているということは、いわゆる「社交的」なヒトたちはもっともっとそういう目に遭うのは間違いないわけで。

自分が、そもそも「社交的って?」とギモンを感じた直接のトリガはたぶん、ここですね。
八方美人的な「社交的」は自分のクビを絞めるだけ。じゃあ真の「社交的」とは? というハナシになってゆきます。

そこでキーワードになるのは「誠意」だと思うのですが。

再録

以前、プレジデントビジョンというメールマガジンを購読しており、面白く読んでいました。が、いつからか、不定期で発行人の「自分物語」が始まり、強烈な違和感を感じて、購読をやめました。

たぶん自伝だったと記憶しているのですが、もしかしたら、近しい友人が書いているか、あるいは近しい友人が書いているような書き方にしているか、だったかもしれません。

(略)どうも、自分の物語を伝説化しようとするフシがあるんですね。言い方を変えれば、伝説にはなりえない、ごく普通の自伝なのです。

「ケンカに明け暮れていた」わけでもないのに数年に一回やったケンカの話にフォーカスして書くことにより「ケンカに明け暮れていた」というイメージを作り上げようとする、といった手法です。これはあくまで、たとえですが。。

自分が主役の話を自分で書くと、「ゴーマニズム宣言」と同じで、主人公である自分がものすごくカッコよくなってきます。これはもう苦笑する他ないですね。

ゴーマニズム宣言」はもう突き抜けていますし、「出過ぎる杭は風景になる」という境地まできているので、いいのですが。。

それはそれで構わないのです。自伝の目的は自分が素晴らしい、カッコよいことを後世に残しておくためにあるわけですから。

違和感の根源にあるのは嫉妬なんですよね。。それはわかっているのです。

心の奥底では、自分も自前のメディアをもってあれをやりたいんだろうな、と思います。

インターネットで日記を書いている理由も似たようなものでしょう。

何かに書いてありましたが、ビジネスマンのゴールが、日経新聞の自伝の連載(詳しく思い出せませんが「私の履歴書」でしたか)に掲載されること、というのは、とてもよく理解できます。

でも、自伝を書きたがる人に対しての違和感はなくならないと思います。