元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「本末転倒」な人生

my格言・my座右の銘(自作自演)

  • 社員の「休暇」は会社側は「待機」としか思っていない(20061206)

こうありたいまたは反面教師

  • 「本末転倒」もっとクワシく

相変わらず「仮定」から思いつくことが多いのですが。。
「本末転倒」な人生を送っているヒトが多すぎるな、と。
自分は少なくともそうはなるまい、と。たとえ享楽的人生を犠牲にしても。

楽しくなければ人生ではない、というスローガンを「間違いでした」と認めるところから、始めなければならないのです。
それはまるで、毎日毎日楽しいことが続くのが当然といったようなイメージ。

それを合格点に設定してしまうから、人生を見誤る。
でも、そういう設定をしてしまうのは、庶民であれば仕方がないのです。なぜならそこには強力なプロパガンダが存在しているからです。

大事なのは結果です。最終的に、「けっこう楽しい人生だったじゃん!」と思えればそれでよい。合格点はヒトによって異なりますし、「採点基準」もまったく違います。

最近思うのは、ということは年をとってからのほうに比重をおかなければならないのだろうか、ということです。
死ぬ前に「若い頃はよかった。。でもその後は下降線だったなあ。。」なんて、考えたくはないでしょう。

確かに途中でばたんと死んでしまうリスクはありますが。。そうなってしまったらそれで仕方ないですね。


とにかく、毎日が楽しいわけではありません。そして、長期的に考えれば楽しい時期と楽しくない時期があり、楽しくない時期のほうが圧倒的に長い。
であれば、いかに、楽しい時期にそのときのイメージを醸成し、あとの惰性のときにそのイメージを維持できるか、だと思うのです。

楽しい時期をムリやり長くしようとあがいても仕方がないような気がしています。【重要マーク】