元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

過剰な「安かろう悪かろう」

本来の日記部分

  • 体調

腰痛もやっと落ち着き。。

  • 仕事

面談続く。今日は朝一からでしたので、もう朝からヘトヘト。。
脱力で午前中から眠くなりました。。

ビジネスにおいて「コミュニケーション能力」、とかかまびすしいですが、
少なくとも自分は、ヒトと「誠意ある対応」をするとヘトヘトになります。
という意味では、自然にそれができないということは「コミュニケーション能力」はないのかもしれません。

でも、上っ面だけ営業トークができるが「誠意ある対応」ができないヒトのいかに多いことか。。
こういうヒトほど「コミュニケーション能力がある!」と自他ともに認めているのでしょうね。
(その「他」に私は入りませんけれども。。)

再録

今、そういう状態にあるわけではないのですが、

お金を貸すと相手の態度がでかくなるのはなぜなのか? が、未だにわかりません。

子供の頃、貸したお金は返すように習ったはずなのに、返さず、逆に「ないものはない」と居直る。

この「居直る」という態度は、子供の頃はやってはいけないこと、叱られることの相当上位だったと思います。

このように子供の頃習ったことと正反対の大人になるのはなぜなのか、についてはけっこう真面目に、頻繁に考えることがあります。正直ものはなぜ馬鹿を見るのか、と絡んでくると思います。

例の肉屋の問題がトリガとなったのか、安かろう悪かろうという考えがクローズアップされているように思います。
あまり安いものを追うな、安いものは悪いもの、と。

世論が「そっち」寄りになっているのは、とても違和感を感じます。
「豊かな国ですなあ」とイヤミのひとつも言いたくなりますね。

なぜなら、「世の中で売られている商品のほとんどは、不当に高い」という事実が隠蔽されつつあるからです。

とあるメルマガで、「安いなあ」と思ったらそれを疑ったほうがいい、といったようなことが書かれていました。(だから、それに違和感を感じて、こうやって取り上げているのですが。。)
疑うのは、正しい。でも、疑い方を、間違っているのです。

ムカシから、我々は、不当に高い買い物を市場からさせられてきたのだ、ということを忘れてはならないのですよ。
あの、闇市の時代から。(私は生きてませんが。。)

「安かろう悪かろう」つまり、品質が劣悪なものだから、安く売られている、とは限らないのです。
(そういうこともあるので、完全否定はしません)


ムカシは、そして今も、品質が「ふつう」のものが、不当に高く売られている。
そういう商売をしているヒトたちはほくそえんでいることでしょう。
今現在、「安いものはうかつに買うもんじゃない」という大々的なキャンペーンが張られているから。。
このキャンペーンを仕掛けたのは、いったい誰なんだろう?
ここ10年弱続いているデフレの反動がついにきた、とみればよいのでしょうか。

しつこいようですが、「安くて品質が劣悪」(「安かろう悪かろう」)なものよりも「安くないのに品質はふつう」(質の割には不当に高い)のモノのほうが何万倍もたくさんあるんです。
こういう、キャンペーンを張られているときこそ、そういう、不当に高いモノを監視しないといけません。
相手は、別に品質は「ふつう」のくせに値を吊り上げてくるかもしれませんよ。
そして庶民は、それを一種の高級品だと思い、まんまと高値をつかまされます。


こういうときは逆張りのほうがいい、と確信しています。
かたくなに逆張り(つまり、こういうときこそ安いものを買う)するというよりは、自分の買い物の感覚を信じるということ。
そしてもし可能であれば、値段を比較するということ。独占の状態ではどうしても値はつりあがります。
スーパーで買えるものをコンビニで買わない(正札で買わない)努力をするとか。
それをセコいといいますか?


もうひとつ気になるのは、「食品はやっぱり品質が大事で。。」という「風潮」ですね。
そんなことは、誰もがわかっていることです。これが強調されているということは、何か違和感を感じなければなりません。
確かに、プロフェッショナリズムが一部崩壊している、というのはあるでしょう。「どうせバレないだろう」と賞味期限切れの生クリームを使うとか、そういうところで「モラル」が崩壊しているのは否めません。
でもそれと同じように、品質改善の努力はいたるところで繰り広げられてきたのです。


ハナシはちょっとそれますが、戦後は、ヒロポンを皆で回し打ちしても法的に咎められなかったり、問答無用でDDTを身体にかけられたり、絨毯爆撃で空から農薬をまかれたり(民家を避けることなく)したんですよ。

私は戦後は知りませんが、私が駄菓子屋で食べたお菓子たちは添加物バリバリでした。缶コーヒーも缶紅茶もむちゃくちゃ甘かった。ポテトチップは健康のことなどこれっぽっちも考えていなかった。
ドブ川は皆が洗剤を流すのでキタナく、クサかった。

農薬についてはホントに「爆撃」されたんです。「空襲警報」が鳴るんですよ。「今から農薬をまきます、避難してください」と。でもコドモたちは外で遊ぶのが楽しいから、避難しない。そうすると、空から霧雨みたいのが降ってくるんです。顔を上げると、何か「苦い」モノが口に入ってくる。。

それでも、私は今でもある程度頑丈ですし、食べ物の品質について過保護に守られている今の若い世代のほうが、なぜか身体が弱いといわれています。

それは、なぜですか? ということを考えてほしい。


結局何が言いたいのかというと、いつもと似たような結論ですが、「身の程を知り、身の丈にあった生活をする」ということ。
アナタは本当に、大枚をはたいて有機野菜を宅配で購入するほどの「豊かな生活」を送る資格があるのでしょうか?
結局、今も「庶民」というのは、スーパーで夕方、生鮮食料品が安くなる頃を狙って買いに行く、ぐらいが「身の丈にあった生活」なのではないですか。

エコロジーに関心を持ち、自分の口に入る食品に過剰に気をつかって、それにかまけているうちに、あなたの部屋は汚れていませんか?

アナタは「庶民」ですか、否ですか?
アナタは何をすれば「豊かな生活」を送っているという実感が持てますか?


たぶん、そういうことです。