元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

会社シリーズ 独自ドメイン

本来の日記部分

ここ2ヶ月ぐらいは、月曜にばーっといろんなことを思いついてこの日記に書きとめていたのですが、今日は特にそれが出てこず。。
理由はおそらく、睡眠不足でものすごく眠かったからだと思います。眠いと何もかもダメですね。仕事も。。

なぜ月曜にいろんなことを思いつくか、というと、週末は脳のそういう思索「回路」のようなものが、ぱたん、と閉じられるようなのです。
なぜなのでしょうね。


今までどうも「思想する」という動詞が、仰々しくて違和感があったので、動詞形は「思索する」に変えます。
「思想」という名詞形は、しっくりくるのですが動詞にするとイマイチになる。。

  • 体調

鼻水。やはり、気温の急激な変化にやられているようです。

  • 仕事

明日(今日?)で今の現場終了。珍しく、特に問題もなく。。
3ヶ月のロングリリーフでした。

なぜ問題がなかったか、というと、リーダがリーダらしく、ふるまっていたから、という一点に尽きます。

管理業務、リーダシップを丸投げしなかったから。

「仕事しない」と部下のグチを言うリーダ、マネージャに限って、「部下の成長を願って」を隠れ蓑に、自分が本来やらねばならない「長」としての仕事を、単に「やりたくないから」という理由で放棄するヒトが多いですね。

まあ、現在企業社会は慢性的な人材不足で、ヒトの上に立つ器でないヒトが上に立たざるを得ないので、仕方がないといえば仕方がないのですが。。


企業社会においては現在、多くのヒトたちが、組織がフラットになってゆくことを願っています。
でもそれはネガティブな意味において、でしょうね。上司は、昨今著しく「仕事人間」としての品質が下がってきた部下(若手)の面倒を見切れないから、という意味で。部下は、「つかえねー上司」の言うことなんか聞いてられない、という意味で。

でも、組織がフラットになっていったらますます自己責任が重くのしかかってきます。それは「責任」を、強制的に一手に引き受けされられていた存在(「中間管理職」的な)がいなくなるということなのですが、その覚悟は果たしてあるのでしょうか?
「自己管理」すらアヤしいヒトたちに、フラットな組織で華麗に立ち振る舞いなさい、と要求するのは、あまりに酷ですね。


まァこれは杞憂なので、大丈夫です。日本の会社組織の根幹が、フラットな組織になってゆくことは、ゼッタイにありません。ですが、スピンアウトして、フラットな組織を志向する会社は少しずつ増えてゆくでしょうね。ですが、それがメインストリームにはなりえません。

なぜならば、就職をする、という行動そのものが自己責任の一部放棄だからです。(すべてではありません)企業というのはそういう人間の集まりなのですから。。
そしてそういう人間の「労働力」を吸い上げて搾取する構造になっているのが、企業体なのですから、そういう人間には自己責任の意識を持ってもらいたくはないはずなのです、上層部は。

ミチクサ(散歩、都市論etc)

何年か前には、独自ドメインでないホームページを馬鹿にする風潮がありました。

今はブログが主流で、ブログは独自ドメインである必要がないので、そういう風潮も収束しましたが。。

ホント、馬鹿にするほうが馬鹿ですよねえ。。

その風潮に対して、ホームページというものすら持っていない自分が、ものすごくハラが立っていたことを思い出したのです。

なぜなら、独自ドメインでない、というのが、「持ち家でない」とイコールのような気がして。。
間借りで何が悪いのか? と。

URLというものは、ブックマークする、あるいはハイパーリンクさせるものなのですから、別にドメイン云々を意識する必要は全くないのです。

そして、ドメインは「住所ブランド」という意味合いもありましたね、かつては。。
独自ドメインであっても「.comじゃなきゃダメ」「co.jpはダサい」みたいな。。

。。もっと馬鹿らしい差別意識でしたね。
そして「.net」はニュートラルというか。。ダサくもなく、可も不可もなく。

ヒトは、どんな要素からも差別意識を生成することができるんだな、というのが、少しオトナになった最近の感想です。


そういう「これがいい」「あれはダメ」という決め付けに対してはホント、要注意です。




人生観、のような、思想の話

  • 権力を狙いにゆく姿はスガスガしい

少し前、電車の中吊りなどで動向を気にしていたのですが。。
前の内閣で防衛大臣にまで上り詰めた女性。

自分はこの方の「虚構」から推測する他ないのですが、とかく権力に執着する姿勢というのは非難されがちですが、この方ぐらいになるが、スガスガしさを感じました。

ヒニクで言っているわけではないのです。

この方を非難するヒトたちは、未だ嫉妬羨望の呪縛から逃れで出ていないですよね。

「庶民の総体」は権力の座に上り詰める、「最初の一歩」のところにすらいけないのですから。

「すっぱいブドウ」である、といいきれますか? 権力を狙う生活よりも、今のアナタの市井の生活のほうが、人間として上である、と断言できますか?

「庶民の総体」として、マスコミによって洗脳され、常に不満足感を感じながら生きてゆくよりも、ロコツに権力を狙ってゆく人生のほうがどう考えてもスバラしい。

まずはその認識から始めないと。。


私は、この方に対してスガスガしい印象を持てたということは、そういった権力志向に対する「嫉妬羨望」から脱却できたのだ、と解釈しましたし、なんだか喜ばしいキモチになれました。

そういう生き方も認められるし、自分の生き方も遜色ないと言い切れる。(というのは実はウソで、ホントウは、ゼッタイに自分の生き方のほうが良いと思っているのですが。。 それはココロの中にしまっておけばよいハナシで)


まあ、こういうヒトがそばにいたらコマったチャンかもしれませんが。。

でも、嫉妬羨望から脱却できてさえいれば、共存できる(つまり、巻き込まれない)とは思います。
イマふうのコトバでいえば、「互いにリスペクトしあえる」という感じで。