元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

リトマス試験紙としての自分

自分について

自分は、ヒトの話を聞くようにしているので、なんとなく聞き上手になってきたような自負があります。
それはおそらく相対的なもので、ヒトの意見を全く聞かないで自分の主張ばかり押し付ける人間が増えてきているがために、「聞く」ことがふつーに出来る人材が重宝されてきているのでしょう。
一方的に主張することが逆に正しい、という風潮すらありますからね。


そういう、ただ、自分の考えを述べたい、誰か聞いてくれ! というヒトにとっては自分は重宝されるようです。
こういうヒトは最初から「反論は言ってくれるな」という感じですので人間としての器は小さいと言わざるをえませんね。
「うんうん、なるほど、それで?」さえ言ってあげればそれでよいのです。


次に、「スパーリングパートナー」として私を選んで「いただける」こともあります。自分の主張があり、かつ、それが世間的にどれぐらいの「位置づけ」なのかを測りたいときに、私と軽い「打ち合い」をすることで確かめてみるわけですね。

こういうときは、相手のホンキ度合いにもよりますが、キビシめに論戦したり(たとえば、反証を述べてさらに相手の議論の広がりを確かめる、とか)、あるいは、基本は同意しながら、別なちょっとズラした考え方を述べてあげて、相手の主張を深めてあげたりします。

あくまで「スパーリングパートナー」ですから、相手が気持ちよくなり、かつ「上達」しなければなりません。
私はこの「スパーリングパートナー」としてヒトと議論するのはとても好きです。少なくとも、「反論してくれるな!」ではないですからね。
それに、ハナから熱くなるつもりもないので、結果的に不快感が残ることもありません。


ところで、自分はけっこうよくしゃべるほうですが、他人との会話の内容の90%以上は、意味のないことです。個人的によく使うコトバですが、「上滑りする」会話をしています。
今の世の中、「上滑り」しない日常会話など誰も求めてはいません。

ただ、最近は自分はテレビを見ていないので、コトバが「上滑り」しなくなってきたのが気にはなります。こうあるべきだと考えてそうしているのですが。。

「上滑りする会話」というのも楽しいもので、自分もストレス発散になり、他人も不快感を感じないような会話をこころがけています。


で、ごくまれに、とある「お題」について、私の意見を聞いてみたい、と考えていただけるキトクな方がいます。
そういう方にはまァほぼ遠慮なく、その「お題」についての自分の考えを述べます。


自分が全力でぶつかっていって、思う存分議論できる、私にとっての「スパーリングパートナー」あるいは好敵手は、今のところいません。

これは、慢心で言っているわけではないのです。ムカシはごろごろいました。今は、たまたま自分のまわりにそういう方々がいないだけです。
ですが、そろそろそういうヒトもかたわらに欲しいなあ、と思うようになってきましたね。


「ふつう」でいいのですが。。 現在、自分の周りには議論どころか「おハナシにならない」ヒトが増えているのは確かです。上滑り「しない」会話自体が成り立たないという前提での関係。会話ではなくてコトバという「直球」をただ投げ込みたいだけ。コミュニケートしようとはしない。

乱暴にいってしまえば、たくさん活字を読んでいるか、一生懸命仕事して、一生懸命生きているヒトであれば、そういうヒトたちのハナシはゼッタイに面白い。ということは、そういうヒトが減っているということですね。

そういうヒトはむかしであればそれがふつうでした。会話が面白くないヒトのほうが希少価値だったのでは? とすら思います。


テレビとヒトのウワサが中心の会話を永遠に上滑りさせてゆくつもりのヒトたち(たとえ、意識していなくとも)のハナシは、永遠に面白くなりようがありません。

会話というのは「深み」がでるかどうかにかかっていますね。

再録・継続

世の中、偽個性を持った人間が増えてきて「一生霞食って暮らすのか?」と問いかけたい人間だらけになってしまいました。
自分の才能に慢心して、自分は汗水たらして働く人間ではない、と思い込み、親や周り、自治体に「寄生」するようになり、結局その才能は芽が出ず(自分が汗水たらして働く人間でない、と思い込むような人間が芽が出るはずはないです)、気がついたら働き方も忘れ、自分のことを棚に上げて「この世の中は生きにくい」とぼやき、それを理由に「精神病」というアヘン(あるいはホンモノの麻薬)に手を出し、堂々と「廃人」になることによって世の中からわかりやすく退場してゆく。。

これからの世の中、そんな、自意識だけが異常に肥大した「実質、廃人」が増殖してゆくのです。そんな世の中には希望はもてますか? そんな「世の中」に貢献しようなどとは誰も思わなくなってくるでしょう。個々人が個々人のために頑張ればそれでよいのです。


今もムカシも「自分は汗水たらして働く人間ではない」と考える人間にとってこの世の中は生きにくいものです。