元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「こうありたい」と願うのは自由 「将来何になりたい?」

本来の日記部分

もうすぐ楽しい夏休み。。
といっても、私が「楽しみ」という感情を持つのは、観光にでかけるとかそういう「プッシュ型」ではなくて、「解放」。。 そして、真の意味での「ヒマ」ができるということ。
たまっているtodoリスト、C級グルメ宿題店を片付けよう、とか、何の本を読もうか、とか。。
「身の丈にあった楽しみ」だからこそ「楽しみ」という感情を持てるわけです。

再録・継続

  • 「こうありたい」と願うのは自由(20070214)

「こうありたい」とイメージし、それに近づいてゆくのはうれしいものです。その「こうありたい」というイメージは、ヒトは自由に設定できます。目標を近きにおこうがムリなところにおこうが、勝手なのです。勝手であるがゆえに自己責任が求められます。目標をムリなところにおくことによって挫折感が増長したりストレスがたまったりしても、それは自分が悪いんですよ。しかもそれは、自分の努力によって改善可能かというとそうでもなくて、自分の「器」の問題なんです。もともとの資質なんですからカイゼンはほぼ不可能なんですよ。自分の器を受け入れて、目標設定はそれに見合ったものにする必要があるのです。その作業をしようとしないヒトが多いんですよね。。 社会が豊かになって間違った「万能感」だけが助長されるから。。
(再録おわり)

自分について

  • 「将来何になりたい?」

一度、書いたかもしれませんが。。
ムカシ、将来何になりたいか、と問われて、周りが皆、プロ野球選手とかパン屋とか、とにかく「職業」的な回答をすることが、不思議で仕方がなかったのです。
それは、もう、けっこう小さい頃から。

自分は、「職業」を将来の目標にしてこなかったから、現在、こうして大方の予想どおり「職業」的にはふらふらしているのですが、「職業」以外のところではけっこう頑張っていて、おぼろげな、なりたいオトナのイメージには近づいてきていると思うのです。

まあそれは自己満足にすぎないのですが。

「職業」を目標にすると、ものすごく高い確率でそれにはなれません。だから、そんな模範解答を教えこむよりは、なりたいオトナのイメージを持たせたほうがいいと思うのですが。。

my格言

  • 自分探しは終えて、今、そこにいる自分を見つめること