元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人は仰々しい親切にしか気付かない 汲み取り便所の長屋に戻りたいか

本来の日記部分

  • 体調

ストレス解消のため、夜、「歩きながらビール」実践中。
これでほんの少しだけ世俗とか仕事とか、その他もろもろを忘れられます。

  • 仕事

とある営業さんと道端でばったり遭遇。
フザけたことを言ってましたね。。

メールを出すと、都合のいいことはすぐ返信して都合の悪いことはムシするヒトです。

営業なのにムシって、いいのか。。

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 汲み取り便所の長屋に戻りたいか?

「昭和の香り漂う」長屋風情にあこがれてるけど、水まわりは給湯があってINAXのウォッシュレットがなきゃダメ、ゆずれない、みたいな考え方に対して。
以前、日記にも書き出していましたが、まだ自分の中でくすぶっており。。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061026
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061005
半年以上寝かせましたね。

まず、そういうアホらしいことを堂々と主張できる(「何がわるいのか?」みたいな)世の中になっているのが、おかしいと思いますけども。。

ヒトは、もはや退化することはできないわけです。生活を退化させてまで「風情」をとるほど、思い切ったことはできないのです。特に庶民は。

風情をとるために、生活を退化させるために、「出家」しますか? いやいや、「出家」もトレンドでしょう。三食昼寝付き、水洗便所付きの出家だったらやってみたいかも、なんて思ってませんか?

だから、風情は風情として、外から楽しみなさいよ、ということ。それがお似合いなんですよ、庶民には。その中途半端さが。

少なくとも自分は、退化することはできない、という自覚、諦観はあります。(「庶民」はイヤなんですけど。。)
だから、この国にいるからにはある程度進化した生活を望みますね。「サイセンタン」は遠慮しときますが。。 「進化した生活」というのは、「豪華な」ではなくて、できるだけ生活のベースの部分でストレスを感じないようにしたい、ということです。

ストレスを感じない、ということは要は極力メンテナンスフリーに近づく、ということです。
世の中は着実にメンテナンスフリーになっていっています。なぜなら、人間の欲求というのは日々の作業から逃れたい、というネガティブな感情から引き起こされることがほとんどだからです。

どなたかのコラムで書いてありましたが、エアコンが勝手に清掃してくれる機能が、数年来ものすごく進化しているとか。。
技術革新というのは、人間がやって面倒くさいことを機械にやらせたいがために進んでいますね。
それはつまり、エンドユーザへのサービス提供ということです。「顧客本位」。顧客というのはすなわち、「面倒くさがりやの庶民」です。

宇宙に行く、とか、そういう夢はまったくなくなってしまったように感じますが。。


それと、戦争はイヤです。なぜなら、日本がまた焼け野原とかになったらまた一時的に退化した生活に戻らなければならないからです。

ところで、アウトドアとか、旅行とか、瞬間的には自宅よりも「退化」した生活を余儀なくされることもあるわけですが、ヒトビトがそういう経験を欲するのは、どこまでも進化してしまった人間の免罪のための無意識の行動なのかもしれませんね。(【重要】マーク)

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 人は、仰々しい親切にしか気付かない

この「馬鹿馬鹿しいと思う」シリーズもそろそろクライマックスでしょうか。。

ヒトというのは、仰々しく親切にされたことしか、おぼえていない。
困ったときに、すぐに手を差し伸べてくれたヒトしかおぼえていない。

さりげない親切よりも、仰々しい親切をされたい。

誰かが事前に動いて、発生するはずだった問題を事前に回避してくれても、それには気付かない。
なぜなら、問題は起こっていないから。「起こらなかったかもしれないじゃないか」という言い訳が成り立つ。

他人のために「予防」なんかしてあげるもんじゃない。
「予防してあげた」ことを伝えても不快に思われるだけ。

でも、仰々しく親切にしてあげたことは、後々まで言える。いつまでも恩を売れる。

だから、それにつけこむ商売が成り立つ。

まさか、この歳になるまでこれらのことに気付かなかったとは。。

「予防」を実際にしてあげるんじゃなくて、「こうなるだろうからこうしたほうがよい」と警告するにとどめたほうがいい、ということ。「やってあげる」必要はない。
やってあげても、まったく感謝すらされないのだから、「馬鹿馬鹿しい」という結果を導き出してしまうだけです。

そのヒトのためを思えば、「問題」は発生させたほうがよいのです。そうしないと身にしみてわかりませんから。

タチの悪いのになると、一応「警告」はしとかないと、「わかってたんだったらなんでいってくれなかった!」と逆ギレされる。。

重要なのは、人徳があるヒトは、警告を受けやすいということです。つまり、ヒトが、親切に、アドバイスしてくれるということ。
人生において「わかってたんだったらなんでいってくれなかった!」という思いを他人に対して抱くことが多いヒト、アナタには人徳がないのです。(【重要】マーク)
だから、誰もアナタにアドバイスしてくれないのです。表面上の付き合いは多いのかもしれませんが、大切なことはシカトされてるんですよ。

ズバリそれは日ごろの行いでしょうね。。


でも自分は、これが「風潮」なのだとしたら反抗したいですね。。 まずは自分から。
「○○をやってください」といって「はいわかりました」といってやってくれる。
この行為に感謝するのは当たり前ですが、「たぶん、後々必要になると思ったのでやっときました」みたいな、事前予防的な親切には、それを「押し付け」とは思わず、もっと感謝しなければならない。

そして、その「やっときました」の報告がなく、さりげなくスムーズにコトが進んでいるとき、「なぜ問題が起こっていないのか?」を敏感に考えて、報告がなくともウラで動いてくれているヒトに気付いて、感謝の念を伝えられるようにしたいものです。

うまく説明できませんが、「そういうヒトに、ワタシはなりたい」ということです。