元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「馬鹿らしい」と思う話ふたたびの6

本来の日記部分

気分転換に、PCの起動音とかログオフ音とかのサウンドを変えました。デスクトップのようにクラシカルにしました。だけでなく、一部の音は、ムカシ使ってたMacintoshの音をネットから拾ってきて使っています。
起動するたび、あるいはbeep音が発生するたびに懐かしい気分。。

  • 体調

いいかげんこの、怒りの感情をすべて吐き出してしまわないと。。
有意義な日常を送ることもできないですし、体調の維持にも支障をきたします。
また、この連休はだいぶビールを飲んでしまいました。自分の意志の弱さを再確認した次第。
自分が意志が弱いなあ、と思うのもヘコむ要因になってしまいます。。

活動・活動に関して(散歩、都市論etc)

  • 初ミッドタウン

遅すぎですが。。 初めて東京ミッドタウン上陸。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • 「馬鹿らしい」と思う話ふたたびの6

まっとうな社会人であれば、ヒトは、ツラい環境に身をおいたとしても、やがて適応してゆくものです。
一部を効率化してラクしようかと考える余裕ができたり、単調作業の中に喜びや達成感を感じようとしたり。ストレスを緩和させてゆく動きです。それができるからオトナなのであり、「社会人」として生きてゆけるのです。その、個々の「適応行動」に対して自分は「インテリジェンス」を感じることがあります。
社会人とは、たまに休息はありつつも、ツラい環境の連続であるといえます。
その適応ができない、たとえば、いつまでもいつまでも「ツラい」とグチるだけで、笑ってしまうぐらい頑なに何も変えようとしないヒトがいます。
私は、そういう適応障害人間は少ないのかと思っていたんですね。でも、ここ数年で気付いたのは、そういう人間はたくさんいるということ。

その適応障害の原因は、プライドなんですね。「これがオレの(アタシの)やり方、生き方」というのが、そのときそのときの仕事の障壁と真っ向からぶつかる。
ぶつかるけれど、なぜかヘンに妥協しない。「ここで妥協したらオレ(アタシ)じゃない!」みたいな、ヘンなプライドがあるのです。

なんだか、プライドというかこだわりを通り越して、単なる偏屈ジジィ(ババァ?)に堕しているようにもみえます。本人はそれに気付いていないのか、気付こうとしないのか。。

そういえば、自分の日記で頻繁に出てきますね、このコトバは。。
たとえば自分の間違いに「気付かない」「気付こうとしない」(見てみぬふりをする)
ホントに気付かないのは単なるアホですが、最近、ホントに気付かないヒトというのはほとんどいません。ほとんどのケースでは、「意識下に沈めておく」という手法が用いられます。

それにしても、適応障害を起こして、ツラい作業なり現実と真っ向からぶつかっていって、よく続きますよねえ。
その点だけ、感心します。
そういうヒトたちは、意識して「真っ向からぶつかる」というツラい現実を選択しているとは思えないのですが。

実は、「ツラい」とかグチるのは意図的なポーズで、「ツラい」まま続けていっているヒトはそれほどツラくはないのかも。。 
そうであればズル賢いですが、最近のヒトたちはそこまでやりそうですね。
ホントにツラいのであればヒトは逃げ出しますからね。

そこが問題としたいところで、ツラい現実と向き合ったときに、ギリギリまで妥協点を見出していこう、適応していこうとする動きをまったく見せずに、逃げ出していくヒトがいます。
こういうヒトの尻拭いをするのは誰なのか?
尻拭いするのは尻拭いできる才能がある人間です。
適応できずに逃げ出す人間が増えれば尻拭いの需要も増え、才能のあるヒトは尻拭いだけになってしまいます。そして、才能のあるヒトもやがて「やってられん」と、逃げ出す。。

これが「馬鹿らしい」ということの悪循環ですね。
尻拭いがイヤで逃げ出すことを責められますか?

逃げ出す前に、ギリギリまで適応していこうとしていた痕跡が残っているのであれば、心情的には助けたいという気持ちにさせられるものです。

先ほども書きましたが、状況に適応していこうとする動きは「インテリジェンス」そのものです。フルに頭を使って妥協点を探るということです。
ジャマなプライドにより、適応障害を起こしているヒトは、インテリジェンスのほうも障害を起こしているのです。ですから、どの現実に逃げ込んでも、どこでも適応障害を起こすことになります。

どこかで「適応」をやりとげて自分のノウハウとして吸収しないと、全く成長できないのです。
どの現実に逃げ込んでも、楽できるところなんてないのです。