良いこともあれば悪いこともあるか(再録)
本来の日記部分
- 体調
室内の人込みにいると、頭がぼーっとして、座りたくなってきます。
ムカシからそうだっただろうか。。
本日はプール。少し身体に負荷をかけている感じがします。
水泳というのはやはり健康には良いんだろうなあ、というのを実感しています。
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再録・継続
- 20061010 [良いこともあれば悪いこともあるか]
(略)
20代の終わりぐらいから、「一生懸命」とか「精一杯」という言葉が好きになってきました。そういう言葉は若者の頃は敬遠するものです。
人生をより良いものにしよう、というのは誰もが考えるわけでして、それを実践するためには「一生懸命」「精一杯」頑張るほかない、ということです。人生のすべての局面でそうすべきだとは思いませんが、頑張る時期は一定期間絶対に必要である、と思います。
そして、「一生懸命」「精一杯」頑張る人間は、報われてほしい、と思います。自分も、自分がもし客観的にみて「一生懸命」「精一杯」頑張っているように見えるのであれば、報われたいです。(今はそうなっているかどうか。。)
頑張っている人に対しては、たとえば私から金銭的な報酬を与えることはできませんが。。ねぎらいの言葉ぐらいはかけてあげたいと思います。その言葉により、その人はわずかであっても報われるのです。
余談ですが、人の足を引っ張ろうと頑張る人は「頑張っている」とはいえません。
ところで、最近思うのは、「一生懸命」「精一杯」頑張る人間は、「報われる」というよりは、「バランスを与えられる」のだと思います。つまり、「人生良いこともあれば悪いこともある」という意味でのバランスです。
悪いことの後に良い出来事が起こる、というのは、「一生懸命」「精一杯」頑張る人にだけ与えられる特権ではないかということです。そうあってほしいと思います。ぐうたらのんべんだらりと生きている人には、悪いことが起きてほしいとは思いませんが、素晴らしい良い出来事が起きてほしいとも思いません。
頑張っていない人は、「悪いこと」のあとには「ふつうのこと」がある、ということです。悪い<->ふつう の間でしか人生が振れないわけです。頑張っている人は振れ幅が大きくあってほしいと思います。
小さい子供というのは常に、無意識で一生懸命生きているものです。ですので最初から「バランス」を与えられているのだと思います。
ところが、最近の子供たちは、早いうちから一生懸命さをなくしてしまう場合が多く、頑張らずに「良いこと」ばかりを求めるようになり、「何で自分ばかりが幸せでないのか」という感じで心がゆがんできます。
子供は、自分が一生懸命さをなくしてしまっていることを意識的に気付くことはできません。
幸せではないかもしれないが、一生懸命でなくとも生き延びさせてくれる社会に暮らしている、という意味では少なくとも悪い人生ではありません。
バランスがとれているがゆえに、極端に悪いほうに振れたときに、不慮の事故で亡くなってしまったり、「バランス」では取り返しのつかないぐらいの痛手を負ったりします。
それを見たり聞いたりするのはとても痛ましいことです。
(再録おわり)