また抱負 「自分探し」への反論 序章の序章
本来の日記部分
- 体調
軽く眠い日々が続くので、やっぱり2週に1回ぐらいは「ドカ寝」の日が必要なのでしょうか。
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人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師
- 「自分探し」への反論
この件、まとまった考えが思いつかず、ちょこまかと書いていますが。。先日mixiにレア状態で書き出したのが、
「『現実と折り合いがつけられない』がゆえにサボタージュしてしまう? だとしたら(世の中は)それを許していいのか? プライドが高くて、こんなはずじゃないと思い現実と折り合いがつけられない人が不可解である」
という話。そこから「自分探しへの違和感」の話への良い切り口となるのではないか、と。
「自分探しマニア」というのは自分を過信してプライドが高く、現実と折り合いをつけられないのです。
ハンパじゃなくプライドが高くて、かつ実力が伴っている人はそうはなりません。高いレベルで現実を生きてゆけるからです。自分の中に「ある程度満足な自分」が頑張っているわけですから、そこで「自分探し」すなわち、もう一人の自分の「すげ替え」をしなくともよいのです。
うーん、これで序章になったかどうか。。 エンジンがかかってゆきそうにない。
もう少し寝かせますか。
再録・継続
- 今年の抱負 追加 「いかに不快な思いをする確率が高そうな場所から距離をおくか」
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061113
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快楽原則に基づいて、いかに楽しいことに流されるか、というよりは、いかに不快な思いをする確率が高そうな場所から距離をおくか、ということを、今日考えました。
これと、「一生懸命生きる」とセットでやればよいと思います。距離をおく、イコール逃げる、と他人に思われないことが肝要です。一生懸命生きていれば逃げているとは思われない。
過去のmy格言と、根底に流れている思想は同じですね。
・『幸せ』とは楽しいことではなく、不安がないことである
・本当に成功している人とは、やりたいことをできる人ではなく、やりたくないことをやらずに済ますことができる人である
自分はとにかく生真面目に「何事も経験」と考えすぎで、不快な「場所」(物理的な"place"とはちょっと違うのですが)に首を突っ込みすぎなのかもしれません。
それに気付いたのは最近のことです。他の方々をみていると、皆さん上手に逃げています。
でも、ただ生きているだけで向こうから「不快」がぶつかってくることも多々あるのですが。。 それは自分の「生き方」に問題があるのか。。
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my格言
- 僕のことを好きじゃない人は好きじゃない 僕のことを好きな人は好き そんなの当たり前でしょ?