元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

マスコミによる洗脳完了している人たちにコミットするのはとに...(2)

トピック

  • 体調

頭にカユみが出てきて、年末年始は調子よかったのですが、年明けから少し気になっています。

人生観、のような、「こうありたい」的な、または反面教師

  • マスコミによる洗脳完了している人たちにコミットするのはとにかく馬鹿らしい(2)

昨日の原田武夫さんの話は、このトピックにあてはまりそうです。

原田氏の場合は「マスコミによる洗脳完了している人たち」にもうコミットする気はないようで、状況に疑問を持っている人たちの「気付き」に期待し、「新・中間層」の出現を切望しています。
(ほぼ似たようなことを昨日書きました)

同世代の原田氏、そして私、がこのような思いを持っているということは、同世代でもっといそうですね。「気付き」の前段階にいる人たち。。

「教育」に関心を持っているところも、似ています。
自分は、間違った「個性化教育」のゆり戻しがやってくると信じていますが。。
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20061019

根底にあるのは現状への諦観だと思いますが、悪しき現状に引きずられたくない、というのが共通の感情としてあるはずです。


ところで、9月21日の日記にも少しだけ関連するような書き出し(愚痴)がありました。
「親しい人に頼みごとをするときもお金を払えばいい」
http://d.hatena.ne.jp/StevenGerrard/20060921
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たぶん何かの雑誌に書いてあったのですが、ふと思い出しました。
他人から相談を受けたとき、相手はすでに答えは固まっている、こちらが真剣に考えてあげていろいろ提案するのはムダ、というやつです。
他人から「相談がある」といわれて割く貴重な時間は全くの無駄です。そして、他人の悩みに対して真剣に考える労力も無駄です。
たまに「お金がない」とかいわれますし。。 他人の相談って、自分に不利益があることを「頼みにくる」という意味合いもあります。しかも多くの場合無償奉仕を要求するのです。
最初は下手に出てくるのに、相談事にのってもらった途端に態度がでかくなったりします。
この国では真面目な人ほど馬鹿を見るというはこのあたりにもあらわれているのでしょう。
ひょいひょいと引き受けてしまって損害を蒙るぐらいであれば(借金の保証人になってしまう、とか) 友人知人なんていなくともよいと思うんですよね。
自分の周りにいる人達は、礼節を知る、「人様に迷惑をかけちゃいけない」というしつけのもとに育った人だけで十分です。利益をもたらさなくともよいので。
すべてビジネスにしてしまえばいいと思うのです。要は近しい中であっても対価を払うということです。
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  • 「自分探し」への反論

に、ついて、書き出してみたいのですが、なかなか「降って」こない。。

要は「『本当の自分』なんてどこにもいないんだよ」と言いたいのです。
断片はいろいろ書き出しているのですが。。

9月19日の書き出し(ここがスタートかな?)
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若いときから(「若い」というのは老年の前まで含む)細く長い人生の送り方して楽しいのかよ、ということです。そういう人達にかぎって、現状に満足できずに「本当の自分はまた別に。。」とか、余計な考えを持ってしまって無用なストレスをためていたり、それが反社会的行為として暴発してしまったりするわけです。

誰もが充実した人生を送りたいとは考えているでしょうから、その手段についてはじっくり考えるべきだと思いますね。そこで、考えるために「教養」というのは有効になってきます。「+−×÷だけおぼえれば社会で生きてゆける」と考えている人は現代社会では絶対に充実した人生は送れないでしょう。それは一面では正しいですが、あくまで「健康で文化的な最低限度の生活」を送れるだけで、充実した人生を保証してくれるものではないのです。
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1月3日
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「本当の自分は〜」とか、いい歳になっても真面目に考えている人がいる、というのが信じられないのです。
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1月4日のサジェスチョン
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人が最後にくつろげるところは「個室」なんです。リビングは個室ではなくパブリックスペースなんですよ。この話に賛同できる人でないと、話が合いません。
また、個室は他人が介在してもかまわない。昔から親戚よりも友人のほうが打ち明けたりできるし。
高度資本主義社会では人は各自(特に子供)プライベートスペースを与えられるわけだから、そこから出るときは一枚目の仮面をかぶりなさい、と。=>ここから、「本当の自分なんてどこにもいないんだよ」的な話へ
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ムリなことばっかり願って努力もせず、無用なストレスをためつづけるのはアホである。

自分の器、キャパ、能力の見積もりができず、実現可能と思っている夢、願望が実は自分には到底ムリでそれに他人だけは気付いている、という図はある意味地獄である。
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1月5日
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ほとんどの人は「本当の楽しみ」を自分で能動的に見つけるのが面倒くさくてたまらないのだ。いつも「自分探しの旅」はしているくせに。。いや違うな、もともと能動的でないくせに「自分探し」なんかしてるからいつまでたっても「旅」は終わらないのだ。だってただ待ってるだけだもん。
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