元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

信濃町、東麻布、瑞江 会社シリーズ

【トピック】
仕事関係で瑞江。都営新宿線は、自分のウィークポイントであり、沿線の状況は全くといっていいほど知りません。江戸川区についても、JR、東西線沿線は歩いていますが新宿線は縁がありません。一生縁がないと思っていましたが縁ができるかもしれません。たとえば、今度の地下鉄十三号線と新宿三丁目でクロスしますし。
【外食】
[昼]
信濃町の大学病院の展望レストランで軽食。
【活動】
東麻布に遠征。
【人間ウォッチング】
ゴキブリに対して大仰に驚く成人男性を見かけまして。。そういう人を見たのが初めてだったもので、驚きました。ゴキブリをものすごく嫌いな男性というのは、いるんですね。
その姿に対して悪い印象はなかったです。お茶目といいますか。。
【今日想い出した唄】
ベリンダカーライルの"Blue Heaven is a Place on Earth"
【雑感】
[昔のサラリーマン(会社シリーズ)]
伝え聞くところによれば、高度成長期のサラリーマンというのは今のサラリーマンより「大人」だったという話を聞きます。同じような話が政治家にもいわれます。昔の政治家のほうが品、格といったものがあったと。
「大人」なことは、果たして全面的に良いことなのか? という疑問が、常にあります。
すべて聞いた話、本で読んだ話になってしまいますが、たとえば、昔の世界を又にかけるサラリーマン、政治家などは、公的な場ではジェントルマンだったかもしれませんが、プライベートでは相当な悪ふざけをしていたと聞きます。象徴的なキーワードを挙げれば、政治家の芸者遊び、二号さん、外の子供の認知、etc。。
もちろん、すべての大人がこうだったわけではないですが、昔のサラリーマン、あるいは政治家等が、家庭を顧みなかった、というのは、割合からして間違いないところでしょう。
世の中や、奥様方がそれを黙認していた、あるいは、「そういう世相だった」で片付ければよい話なのでしょうか。
今のサラリーマンは、遊ぶといってもこじんまりしています。政治家も同様です。政治家の場合は、マスコミの目がうるさくなり、そのようなお遊びが出来なくなっているという事情もあるでしょう。そして、芸能の世界でも、昔と比べれば同じような変化があるようです。
以前大蔵省の役人が歌舞伎町で度を越えた「おいた」をして、相当マスコミを賑わすことになりました。あの事件も、そのまた一昔前であればあのようにクローズアップされることもなかったのでしょう。

人間的にこじんまりして、休日は家庭におさまり、「マイホームパパ」を勤めることのどこが悪いのだろうか、と思うのです。その波及効果で、子供と触れ合う時間が増えることにより子供の非行が減るかもしれません。
今現在「御大」と呼ばれる方々が「昔の我々は〜 それに比べて今の若いやつらは〜」と現役世代に苦言を呈すのは、話だけは聞きますが、あまり説得力がないように感じるのです。
今の世代のほうが、相当厳しいプレッシャーの中で仕事をしているように思えるのです。以前書いたかもしれませんが、一昔前の自分の知っているサラリーマン像というのは、相当牧歌的なものでした。ITの時代を迎え、仕事上のストレスは飛躍的に増大しています。

ただ、唯一非を認めざるを得ないところがあるとすれば、我々世代の周辺は、公の場と私の場との使い分けは、間違いなく下手になっています。これだけは、今までの反動で、我々世代が以前の状態にゆり戻さなければなりません。