元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

違和感

【トピック】
日常で感じる「違和感」を意識して書き連ねてゆこうと思います。そういえば、いろいろな場面で違和感というのはよく感じます。それをほおっておけばよいのですが、そうもいかない性格のようで、違和感というのは大事にしたいといつも考えています。この違和感に対する考察の積み重ねが、真の個性を生むような気がしてなりません。
常々違和感を感じている対象は、「マスコミ」と「会社、企業」で、これまでも日記でいろいろ書いてきたように思います。2大テーマといえそうです。
【外食】
[昼]
昨日物色した中から、アメリカ大使館そばのビル地下にある、行列のできる街の中華屋さんで焼きそばを食べました。初参戦。
【活動】
赤坂見附界隈をさらっと散策。
【違和感】
木場公園で各地域の神輿が集合するイベントがあるそうで、以前からやっているそうですが、これには相当な違和感を感じます。
たとえば東京駅北口の、有名飲食店の庶民向け人気メニューのみフォーカスして出店しているような「専門店」に相通じるものがあるような気がします。
また、このイベントはあくまで「イベント」であるはずなのに、「祭り」とうたっているようで、それも違和感に拍車をかけています。

まず、担ぎ手というのは、場所はどこでもいいから担ぎたいのでしょうか。年に一回では我慢できないのでしょうか。神輿が、宗教的要素が全くない公園に「遠征する」というのが、よくわかりません。おそらく、単純に「広いから」というのが大きな理由なのでしょうし、木場という地名が何となく下町情緒を感じされるので神輿をもってくるエクスキューズになるのではないか、という開催者側の意図は透けてみえます。

それと、遠くからこれを見にくる観衆がいるのでしょうが、なぜ、見る必要があるのでしょうか。祭りの中の「神輿」という要素だけピックアップしたイベントを見る意味というのが、よくわかりません。
そもそも担ぎ手は、このようなイベントでの神輿担ぎに本気になるとは思いませんし、だとすれば観衆は本気でない神輿を見せられることになります。ただし、双方納得、満足すればそれでよいのでしょう。

これはもしかしたらフェティッシュの領域なのでしょうか。だとしたら、納得できます。祭りや神輿というものにあれだけ熱狂する人がいることを考えると、神輿に対してそのような特殊な感情を持っている人が日本には本当に大勢いるのかもしれません。ということは、この木場公園の(という広いスペースで行われる)神輿イベントは、コミケと同じということでしょうか。それぞれの神輿のスペックに相当詳しい人達があつまって、「神輿おたく論」を繰り広げているのであれば、逆にその光景を見に行ってみたいという気もしてきますが。。

神輿もそうですが、ひいては、日本でもう完全インフレ状態になっている「祭り」そのものに違和感を感じています。あれはもはや本来の意味を離れ、客の財布のゆるさに期待する経済行為になっていますからね。
「祭り」に対する違和感については、もう少し話を展開できそうな気がします。