2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧
対談:人間・相田みつをに学ぶもの(相田一人・鍵山秀三郎)(略) 鍵山:先ほど相田館長が「絶対差」ということをおっしゃいましたが、私はこの言葉を相田先生から教えられて、本当によかったと思うんです。相田先生は、あなた方はいま相対差の世界で生きて…
掃除をしていて、状況がキレイになるということは実は副次的なものでしかないのです。大事なのは掃除をすること、そしてやり続けることです。掃除することによりキレイになって、みんなが気分がいい、というのは確かにすばらしいことですが、そのためだけに…
凡人が坐禅したところで悟りは開けません。それは、完全に自明です。 人間は、存在自体がすでに悟っているという話は聞いたことがあります。 いいかたを変えれば、「悟りを開くことが可能な」存在なのでしょう。 仮に我々が、悟りを開くことが可能なのであれ…
・自分は「現代版長屋」みたいなところに住んでいて、それがとても心地良く感じている。その場所は確か赤坂である。 ・その長屋は飲食店街とつながっている。ある日自分は(いつものように?)夜、飲食店街にいた。 ・とある飲み屋では深夜、老夫婦で切り盛…
理想と現実との間に分裂、遊離がないというのが、本当の人間らしい姿である。ところが人間というものは、どちらかというと現実のほうへいく人と、どちらかというと、理想のほうへいく人とある。本当にこれが統一されて少しも危なげのないものを「中(ちゅう…
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃっていう「心残り」はいってみれば「宿便」のようなものです。とにかく、出さなきゃいけない。 ですが、すべて解決しようと考えてしまうのが間違っているのです。 とにかく、書き出すこと。書き出しただけで半分以上解決…
「いいオトナが。。」と後ろ指をさされる時代は終わりました。電車の中ではほとんどのオトナが携帯をながめ。。あるいはポータブルゲーム。そして「昔ながらの」マンガ。僕は電車の中ではほとんど読書の時間に充てています。(たまにぼーーっとしていますが…
(自己実現について) 自己というものは、もみ合ってもみ合って出てくるもんでしょう。何か自己というのもが最初からあって、それを実現したいのに世の中が邪魔している、みたいな物の言い方が多いですね。 (引用おわり)ホント、多かったですよね。。最近…
「江戸学」のすすめ―貝原益軒の『慎思録』を読む作者: 久須本文雄出版社/メーカー: 佼成出版社発売日: 1992/11/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る博学に非ざれば、則ち審問・慎思・明弁を欲すといえども、然も固陋偏狭にして、功を施す所…
「江戸学」のすすめ―貝原益軒の『慎思録』を読む作者: 久須本文雄出版社/メーカー: 佼成出版社発売日: 1992/11/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る(慎思録の意訳のほうです) 富貴で立身出世した人は、気儘に遊んだり酒宴を催したりして…
「江戸学」のすすめ―貝原益軒の『慎思録』を読む作者: 久須本文雄出版社/メーカー: 佼成出版社発売日: 1992/11/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る蓋し学を為すの要は志を立つるに在り。心術の要は忠信を主とするに在り。 凡そ其の志驕奢…
「江戸学」のすすめ―貝原益軒の『慎思録』を読む作者: 久須本文雄出版社/メーカー: 佼成出版社発売日: 1992/11/01メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る(慎思録の意訳のほうです) もし自分の行わんとすることが、聖人の行なったのと反対であ…
「幸せに生きたもん勝ち」とは思っているのですが、はて、その「幸せ」とは?何なのでしょうね。そのヒントは僕は、「良き生活習慣の継続」にあると信じて疑っていません。それと、「幸せ」とは。。身近に争いがないこと。 もう少し、考えてみましょう。。
安岡正篤さんの御言葉で ・つまらぬ人間が笑うようでないと本当に「道」ではないというわけです。というのをメモっていたのですが。。 これは、おそらく下記の老子の言葉の解釈ですね。下士聞道 大笑之 不笑不足以為道 何かに邁進したいときは、「つまらぬ人…
僕らは、死んだらどこにいくのか。。 仮に、死んだ瞬間に人間が「完成品」になるのであれば、せっかく完成させた品をどこで活躍、披露させればよいのでしょうか。。どこか、完成品たちが活躍する場が、あるのでしょうね。 確かに、人間は死ぬまで未完成であ…
芸能人というのは、みられるヒトたちですね。僕らは、みる側です。 たとえば「アート」の類も、僕らは、みる側です。僕はおそらく、みる側にいる自分が、キライです。 かといってみられる側になりたいのか? といえば、どうやらそうでもないようです。みる側…