元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ラジオ深夜便(の雑誌)

ラジオ深夜便(の雑誌) 2009年8月号 こころの時代「安心して生ききる」岡本祐三 日本の場合、言葉によるコミュニケーションがあまり重視されませんよね。そういう中で次世代家族と同居すると、「世話をしてくれない」とか「親近感を持ってくれない」とか、…

[重要]人生の目的

僕の人生の目的は(おそらく) 「たまには」(たとえば、「ぱーっと息抜き」とか)をいかに減らしてゆくか、というあたりにある と思っています。詰まるところは、年に350日ぐらいは毎日仕事をしていたい。 身体的な、身体のメンテナンスにホントウに必要…

ヒトが集まってくるように

自分の周りにヒトが集まってくるような人生、生活になるよう自分を磨いておかないと。。 年寄りになってから相当、キツいのではないかと思います。多くのヒトたちは、自分を確立せずに、ヒトが集まるところへふらふらと、あっちへふらふら、こっちへふらふら…

散歩論

局所的なところ、場所、モノやコトの一部、カケラ、などから「無限」を感じることができるか? というのが(おそらく)僕の散歩のテーマであり。。それは、禅の「一即多 多即一」につながってくると思います。だから、僕の考え方と禅とは親和性があるはず、…

東京と電車

コドモは「おいてかれる」感じにものすごい恐怖を感じているらしい、ということが、先日電車で移動していてわかりました。たとえば、コドモたちが先に電車に飛び乗って、まだ自分がホームにいて乗らずにいるという瞬間。この間、おそらく数秒ぐらいなのでし…

苦しかった出来事に感謝できるか

僕は、人生の様々な局面において、いろいろと苦しい出来事がありました。といいますか、あったような気がします。その、苦しい出来事に対して常に感謝を捧げるほどの度量は持ち合わせていなかったし、おそらく今でも持ち合わせていません。ですが、僕が幸い…

神仏儒信じるのは神(超越的な存在)であり、現人神ではないのです。

つまり、僕にとっては釈尊ですらないのです。(釈尊は実在の人物ですから)そして、まだ深くわかってはいませんが、その「神」というのはすべての先達(亡くなった方々)の意識の集合体なのかもしれません。 「霊的」なものでもない。「霊性」というコトバが…

「何も経験しなくともよい」という悟り

先日、面白い体験をしました。コドモができると、コドモががつがつとごはんを食べているのを見るだけで幸せになるものです。 そして、思わず自分の分の食事も差し出してしまいます。結局、自分が食べなくともよいのですね。 それの発展形といいますか。。 先…

正しいと信ずることを続ける

誰もが、一度は、周囲の理解を得られない状況発生 ↓ 孤立 ↓ 奮起 ↓ 復活という道を進まなければならないと思います。自分を曲げないこと。正しいことをやり続けること。 とても不思議なことに、正しいことをやり続けて曲げずにいると一度は孤独になります(…

掃除をすること

掃除をしていて、状況がキレイになるということは実は副次的なものでしかないのです。 大事なのは掃除をすること、そしてやり続けることです。掃除することによりキレイになって、みんなが気分がいい、というのは確かにすばらしいことですが、そのためだけに…

宗教とは思想である【宣言】

どこかの本の受け売りですが。。。・仏教とは宗教というよりは思想である。 ・よって、仏教という思想には直接入ることが可能である。寺を介する必要はないのである。また、これからはますます、仏教に在家で直接入っていく必要がある。 ということです。tha…

楽しく惑う

動物は本能で生きている(らしい)。 ということは、その行動は即「阿頼耶識」につながっているのかもしれません。(今思いついたことで、根拠はありませんが)つまり、行動に対して意識は介さないのです。「即」なのですね。人間は意識を介します。だから惑…

「完全他力」

「完全他力」そして、日々を一生懸命、悔いなく生きること。完全他力とは、「完全依存」ではありません。なんだかんだで自分が何かに「生かされている」ということを信じきるということだと解釈しています。自分が生かされているんだったら(自力ではどうし…

反論なのか、何なのか。。(中谷彰宏さん)

とあるメルマガにて、この文章を見ました。(引用開始) 人間の人生は、他人の人生として始まります。親のために生き、先生のために生き、上司のために生き、妻のために生き、子供のために生き、世間のために生きるのです。ほとんどの人は、他人のために生き…

怠惰な流れを断ち切る日々

怠惰な流れを断ち切る日々。。それも修行。つまり、自分が常に怠惰なほうへ流れていっていないか? を常に監視しているということ。そこから逃げないということ。それができてはじめて、「断ち切る」という行為も可能なのです。断ち切るのは難しいけれど、逃…

陰徳2

ほめてもらおうとネラっている、見返りを期待している親切はダメです。また、いつかは気付いてもらえるはず、いつかは賞賛を浴びるはず、と内心考えてしまう陰徳(のつもり)もダメです。それであれば陰徳(のつもり)を積まず、隠棲して自分の研鑽を積む「…

神仏儒

神道は暴走すると戦前の日本のようになる、というのはこの国が経験したこと。 明治ぐらいまでの日本が統治されていたのは、神道仏教儒教がほどよくブレンドされていたから。それこそまさに「日本教」なわけです。明治になり、明治政府は廃仏毀釈で仏教を脅し…

残らないモノにカネをかける

食べるものにこだわる、というか僕の場合は、モノとして残らない、胃で消化されてしまう刹那的なものへカネをかけることの美学、とうことにこだわってきたように思います。(今は、だいぶ心持が変わってきていますが。。)最近、ちょっとベクトルは違うなと…

荒川祐二さん「半ケツとゴミ拾い」に感じる違和感【あえて苦言】

半ケツとゴミ拾い作者: 荒川祐二出版社/メーカー: 地湧社発売日: 2008/12メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 32回この商品を含むブログ (4件) を見る今さらなのですが昨日、この方の存在を知りましたので。。もちろん知り合いではありません。一介の大学生…

こまめに人生の振り返り

30歳を過ぎた頃から。。たまに、意識的でなく、局面局面でそれまでの人生の振り返りを行っています。 「振り返り」といってもそれほどたいしたことではないのですが、酔っ払いながら散歩していると自分の近過去(数年前まで)のことが思い出されたり。。繁華…

(また?)宗教心のハナシ

大事なのは、どの宗教(ブランド)を信仰するか、という選択ではなくて「宗教心」を持つことなのです。 対象となるのは神でも仏でもよいわけです。 そして、まず「宗教心」から入っていって結果として神なり仏なりを選んでゆくときに、勝手にその教義をイデ…

パンと米 危機感

パン食ですと確かに、キリスト教的ですよね。。 日本の仏教、神道といえば米。 日本が戦後、アメリカに洗脳されてパン食が浸透していったのは、おそらくキリスト教化してしまおうというアメリカの目的もあったのでしょうが。。(給食などは、強制的にやらさ…

読書の時間

結局僕は良くも悪くも、「実践」(フィールド)をモットーにしてきました。 それはおそらく、中学校の頃からです。 最初は、それを言い訳にして読書をすることをサボってきました。中・高6年で読んだ(まともな)本は、両の手でもあまる感じです。絶対的読…

引用

日本一の大金持ちの教え 第909回 「機嫌の取り方」 自分は、どうも人間関係がうまくいってないな、それから、健康もイマイチだな、っていう人がいると思うんです。そういう方に、お尋ねします。どこかで人の機嫌をとってませんか? (『変な人が書いた人生が…