2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧
身体が欲することを、してあげる。。 という意味で、「トイレ」というのは非常に大事な行為だと思います。催した場合すぐに行けるという安心感。これは、いわゆる「衣食住」の「住」の重要性を示しているのでしょう。催してもすぐにいけないような環境、人生…
他人とは違う人生を歩んでいるのだ、という「謙虚な」プライドが人生には必要ですね。それを誇るわけでもなく。 他人が享楽的な生活をしているからそれを真似してみたり。。とにかく、自分の生活は「絶対多数」の中にはいないということは自覚的に生きないと…
家内から聞いたハナシで。。ふだん、ウチはせっけん系洗剤で洗濯しているのですが、定期的に、白シャツなどはまとめて、合成洗剤を使って洗濯するそうです。そうすると、やはりというか、相当真っ白になるらしい。 このハナシは良い示唆だと思うのです。なん…
経験というのは。。歩けば、経験は積むことができる。歩きまわれば、周りの風景が脳に蓄積される。それだけで「経験」といえるのではないか?と、バスに揺られながらあらためて思いました。 とにかく、動くこと。車に乗る(「動かされる」)のではなく、自身…
ホントは筆と墨汁でなければならないのでしょうけども。。 筆ペンと巻紙を伊東屋で買い、「写経もどき」をはじめてみます。自分が好きな漢詩や仏教語などを筆(ペン)で丁寧に書いてゆく、という作業です。 これを続けてゆきたいと思います。この日記のよう…
本来の日記部分 体調 GW明けぐらいからずっと右ひざ関節が痛い。おそらくこれは、GW中歩きすぎたのだと思います。 それを未だひきずっています。 それと、数日前から首が痛くて回らない。。(借金をしているわけでもないのに。。) 寝ているときに寝違え…
個人が幸せになれるかどうかの尺度は、必ずしもカネを持っているかどうかでは、決まりません。という意味では、人生は相当、公平にできているとはいえます。・足りていることを知ること。自分がどれだけ恵まれた環境(今の日本)であるかを知ること。・状況…
人間はなぜ、学問を修めるのかといえば。。 それは、「運命を自分で切り拓くため」なのですね。 とある本を読んで、そのようなことが書いてあって、はっとしました。仕事だけでは、おそらくダメなのです。 仕事というのはおおよそ、「生活のため」ですから。…
「そろそろ死ぬわ〜」と近親者に言い残して静かに死ぬ、というのを、僕は究極の「カッコいい」生き方(のエンディング)として位置づけています。ですので、僕の現在の生活のすべては、そこに到達するためにどうするか、ということをアタマの片隅に常におい…
僕も、家族も、ほとんどの他人も、ホントウは「何不自由ない」生活を送っているはずで、不自由を勝手に感じているのは自分なのです。他人や環境がアナタを不自由にさせているわけではない。不自由と感じるのも自由、恵まれていると感じるのも自由なのです。…
自分がもう、20年ぐらい前におそらく自覚していたことで。。これはおそらく日記にも書いていると思うのですが、僕は、世の中のほとんどのものはおいしく感じます。自然のものであっても、カップラーメンであっても、スナック菓子であっても。そして、外食…
カクゲニスト・アクティビティ メルマガ細々と配信しています 「アート」を着ればいいのだと思います、ファッションは。 「モード」を着るのではなく。別に「モード」でもよいのですが、モードは結局流行ですからいつかは廃れます。アートを着ていれば、それ…
神という存在は、「いる」「いない」という問題、すなわち擬人法ではなくて、「在る」んですね、 (だって、「存在」というでしょう?)「在る」ことはとても自然なことであり、その存在を擬人的にしようとするのが不自然なのです。 でも、そこが人間の限界…
僕は思うのですが。。 (清志郎さんの死のニュースを見てあらためて思いを強くしましたが)天に召されるヒトは、早めに召されてしまうから、それは周りが引きとめなければならないのかなあ、と、思うのです。 引き止める、すなわち、運命を変えるのは、他人…
コドモは、親を選べないのですから、せめてコドモには、僕のコドモでよかったと思ってもらわないと。。いけないと思いますね。それが人生の目標であってもよいぐらいで。 「それ」というのは、自分のコドモが、僕のコドモでよかったと思うためにはどうすれば…
衣・食・住が足りている、ということは、よくよく考えるとすごいことだと思います。それも、独りよがりではなく、自分だけでなく、家族の衣・食・住をなんとか確保しているという状況。戦後ニッポンではそれがあまりにもアタリマエのことになってしまって、…
肉系の食事をすると(キタナいハナシですが)便なりおならが臭くなります。これは、事実です。世の中の多くのヒトたちは、アレは肉系の食物そのもののニオイである、と思っているらしいのですが。。便が臭いというのは、仕方がないことではないのです。 あれ…
僕は、そういえば、現代の坊さん連中の修行により得られる悟りの境地よりも、大金持ちが得られる悟りのほうを、信用しています。 なぜなら、後者のほうがおそらくシビアな状況を潜り抜けてきた結果に違いないと思われるからです。坊さんが、宗教法人として守…
カクゲニスト・アクティビティ メルマガ細々と配信しています 吉本隆明「ほんとうの考え」 吉本 ‥‥人間というのは、自分のやってることに責任を持てと言われたりします。 そこでちょっと思うことがあるんですけどね。 糸井 はい。 吉本 糸井さんにしてもぼく…
カネがそれ程自由にならない段階で、超カネ持ちのヒトが相当のカネが自由になった後に得ることのできる「悟り」を、想像だけで経験してゆくというのが、難しいのです。そこには、文献も必要ですし、相当なる「思い込み」も必要。そこで、どういう「技術」が…
僕は思うのですが、一生懸命生きている人間ほど、「トイレットペーパー」だの「ティッシュ」だのが、自分の目の前でなくなって、自分が交換する係になることが多いように思うのです。そこで、「何でオレが。。」という気持ちを持たずに、嬉々として受け入れ…
朝、忙しくて朝食が食べられない。じゃなくって、朝はゼッタイに朝食は食べるのです。優先順位として。 そのために睡眠を削り、ギリギリまで寝ることをやめるのです。はっきりいって睡眠時間よりも、朝食のほうが大事です。 いえ、朝食だけでなく、朝起きて…
どこまでも貪欲に、ということは、どこまでいっても満足を得られないということでしょう。人生、満足したら終わりだと思っているわけです。満足の先にあるさらなる高みが、見えていないのですね。 あるいは、見えているのだとしても、否定にかかる。 目標地…
好きかキライか、と、豊かさは違うような気がします。好きだからやる、で、その「好きなこと」が積み重なったところでなぜか「豊か」にはならない。「甘いものはクサりやすい」と似ているような。。 もう少し(このGWに)考えるべきことかもしれません。。…
斎藤一人さんのいう「ツイてる」と、旧来仏教でいう「南無阿弥陀仏」は、結局は同じことです。 「ツイてる」とは現代版南無阿弥陀仏ということです。信心の対象は、乱暴にいえば、何でもいいのです。 (ただし、その「何でもいい」という結論に達するまでに…