元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

はい久々シャインフェルド論

 

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強烈な不快感ってさ、現代人であれば日常で感じるわけでしょ。

強烈な快感とか、楽しいことよりは間違いなく多いでしょ。

それをね、最初っから「不快」と定義しちゃうんじゃなくて、まずは強大な「パワー」として認識しましょうよってことなのね。

そして、それをいただいちゃいましょう、と。そのパワーたるやものすごいモノだからさ、(みんな知ってるでしょ?「憎悪」とかさ、そういう類のパワーのすごさは)うまく取り込んで利用できるのであれば、アナタの人生にとってものすごくプラスなわけ。

というわけでシャインフェルド論の最初の関門は、津波のごとく押し寄せてくるパワーに対して「不快というタグ」を取り去ってから、あますところなく浴びるところ。そこがテクニックなんだよな。

それさえできれば、そのパワーを取り込んで、味わった後に「快というタグ」をつけるのは難しくはない。

よく言われるワードを流用すれば「ドーパミン」ってやつね。

もしこれができるんなら、妄想上の永久機関みたいなもんで。いや、二酸化炭素を酸素に変えてしまう光合成みたいなもんで。

不快を体内で快に変換できるのだとしたら不快ウエルカムじゃない。人生の勝利者だわなそりゃ。

ただし!この話にはリスクはあってね。やっぱ達人に近づいてきても、体調がカギになってくんのよ。体調が良いときとかふつーのときであれば押し寄せる不快を迎え撃って「不快というタグ」を取り払って取り込むことができるけど、やっぱ人間だからさ。

あんまりチョーシこいて不快を迎撃してると体調悪いときに一発でやられちゃう可能性がある。ヘタすると病気になる、どころか死ぬぜ。