元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

叱らず、怒る

stevengerrard.hatenablog.com

とことんまで、自分が親から躾けられた(のであろう)「常識」を疑い、かつ現代社会に流れているなんとな~くな「ゆるさ」「節操のなさ」には迎合せず、自分の子供らとともに新しい「秩序」(?)を模索していこう!

とか考えてるとね、結局のところ感情のままでいいんじゃね?っていう。親も、子も。

子供は、外で相当ため込んでくるから(われわれがガキの頃と比べて)せめて家ん中では鬱屈をためないでほしいのね。
かといって、はっきり言わせてもらうと俺らオトナの社会も、そうとう昔と比べてため込んでくるよ、我々は。
だから、我々オトナもせめて家の中でまったりしたいなー、と。

親も子も家でまったりしたい。でも衝突してはならない。

結論は、間はしょるけど、親はやっぱ相当感情の陶冶が必要だとは思うね。安岡正篤さんの言うとおりね。
俗っぽくいえば、ガキのままオトナ(親)になっちゃいけないんでしょやっぱ。

孔子は七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず、だっけ?そのようなことをおっしゃっていたらしいが、70じゃ遅すぎる。

おっと、話を戻そう。

親がね、子供を、自身の感情を抑えて叱るべし、っていう考え方が昔から嫌いなのね。
親だって感情のままに怒ったっていいじゃん、家で。じゃないと、この現代社会では、爆発しちゃうぜ? いつか。

ただ、親が家で感情のままにふるまうためには、資格がいるわけ。それがさっき書いた感情の陶冶ってヤツで。
ガキがガキのまま子育てしちゃいかんだろってこと。真に「オトナ」であれば、感情のままに子育てしても子供に悪影響及ぼさないだろってこと。

あそれとさ、親が子供を「叱る」ってさ。。たぶん北野武さんだったかな?いってたらしいんだけど、
「ペットじゃないんだから」ってね。

ペットだったら俺たち、けっこう感情的にならずに、「叱る」ことができたりするんだよ。
それは、あまりに違うから。相手が人間じゃないからね。
人間じゃないペットの粗相に対してマジ切れするのって単なるバカでしょ。

つまり、自分の子供を「叱る」ってさ、なんかペット並みに扱ってるっちゅーか。。
「お手!」みたいなさ。

自分の子供に対してはもっと、感情と感情でぶつかってってもいいんちゃう?って俺昔から思ってるんだよね。
で、けっこうそうしてるんだけどw

いやね、エラそうに教育論ぶってるヤツらの危惧してることは、わかるよ。
俺たち子供に対して圧倒的優位じゃん。メシ食わしてるわけだし育ててやってるわけだし、
当然力も強いし。

という力関係を利用して虐待したり言葉の暴力をふるったりして子供のトラウマになる、っていうのを恐れてるんだと思うんだけど、
でもそれは「感情の暴発」でしょ。

いわゆる「オトナ」であれば感情的にふるまっても感情が暴発することはないんじゃねえの、っていうのが俺の楽観的な考え方なのよ。

あとはね、子供ってホント、よくみてるから。。
子供を感情を抑えて躾れば必ず二面性が発生するわけで。それを子供は、見逃さないと思うんだよな。

それよか、子供にはあんまり親の表裏を見せないほうがいいじゃん、と。
けっこうダメな頼りにならない親であっても、裏表のない人間なのであれば、ちゃんとしたようにみえて(社会的地位もあって)、でも裏表のはっきりしてる人間よりよっぽどいいと思うんだがな。