元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

小ネタ集w(2)資本主義社会というもの

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エンジニアライフのボツ原稿?というわけでもないけどラフスケッチの状態のまま放置され、ところどころ虫食いで採用。
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 真夜中に、セブンイレ●ンに売ってるなんとかというお菓子を無性に食べたくなったら、ただ行き、そして買うだけです。

 個人の話にひきつけると、いろんな願望がありますよね。甘いものが食べたい、Just now!みたいなのから、もっと荒唐無稽な、不労所得を得て南の島で暮らしたい、みたいな?

 そういうのって、ぜんぶ、箇条書きにしてリストアップすると、横一列に並ぶんですよ。

-----------上と下とはつながる?のだろう。。近くに書いてあったのだから。自分でもよくわかってないw------

 過日自分が経験した損とこれから経験するであろう得とに因果関係はないと書きました。一方で、世の中には、直接的な因果関係をつくるための「お金」というツールがありますね。

 私が今、まさに書いている小損を取るという考え方が、間違いなく普及はしないであろうというのは書いている私がいちばんわかっているのですが(涙)、その理由は、ふつうの現代人はすぐさま「得」がほしいからです。

 損を取るのであれば、すぐに得がやってくるという条件なら構わない、ということです。

 こっちは損するのに、どんな得がくるかもわからず、得がやってきてることに気づかないかもしれない、なんて、この高度資本主義社会では言語道断、というわけですね。

 そこで登場するのが「お金」なんですけど、自腹を切れば昨今たいていのものが手に入ります。最近アマゾンで頼むと翌日に配送されてきますし(笑)。

 「自腹を切る」というのはとてもわかりやすい「損」です。数値なので最初から定量化されています。小損なのか大損なのか、自分が失ったお金で測れば一目瞭然。

 と、いうことは… 人間の願望というのはほぼほぼカネで解決できるという前提に立つならば、以前計画が大事と書きましたが、まずカネを稼げばいいのです。あるいはローンを組んでカネを借りればいいのです。

 と、いう意味では、「計画」というのは多くの場合、ゴールのバリエーション(何がほしいか)はほぼほぼ意味をなさず、いかにカネを稼ぐか、ということに収れんされていきます。


 これが、まさに、資本主義社会というものです(苦笑)。