stevengerrard.hatenablog.com
信じるのは神(超越的な存在)であり、現人神ではないのです。
つまり、僕にとっては釈尊ですらないのです。(釈尊は実在の人物ですから)
そして、まだ深くわかってはいませんが、その「神」というのはすべての先達(亡くなった方々)の意識の集合体なのかもしれません。
「霊的」なものでもない。「霊性」というコトバがあてはまるような気もします。
僕にとって仏儒は「思想」であり(最近、そう決めました)、思想とは学問であり、仏儒を思想するのと神に祈ることになんら矛盾はありません。
ムカシから、日本人はそうやって生活してきたのだと思います。
それに戻ってゆくだけです。