掃除という「行」
朝の掃除とかね俺にとっての「行」はね、やっぱただ単に「やってると気持ちいい」と純粋に思えるようにならないといけなくて。
だから、やる。だから、続ける。
最初は何かしらの対価を求めちゃうのね。たとえばトイレ掃除だったら金運がつくといいなあとか。あとは家内のごきげんとりとかww
それを飲みの席で吹聴してすごいといわれたい、「女子力高いですね」とかイクメンといわれたいとかw
最初はそれで、いいんだよ。とにかく続けるのであれば。続ける理由は何であってもいいのだ。
でも途中から、遅くとも数年経ったら変わっていかないと。
「行」をやったから、後で楽しいことあるに違いないじゃなくて行自体が楽しい、気持ちいい、というね。