元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「数合わせ」論

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いわゆる「イベント」とかなんだけど、面と向かって、あるいは電話で、あるいは自分宛の個別メールで「あなたにきてほしい」といわれたわけじゃない会や飲み会。。こういうのにのこのこと出かけていくことが、昔多々あった。
そのイベントそのものの面白さ。。それは実は推測にすぎないんけどね、「面白そう!」と感じるいわゆる「イベント」にね、出かけてたんだよ。

なーんかさー、自分はアンテナの高い人間だ、みたいなくだらない自負があったんだろうね。

でさ、その場に「いる」だけなんだけど、自分に酔ってるわけね。なんか大げさにいえば、自分は歴史の瞬間に立ち会ってる、みたいなさ。

でもね、そんときのオレって、どこをどう考えても「その他大勢」にしかすぎない。それがもし歴史の瞬間だったのだとしても、ただのオーディエンスにすぎない。
それを、現場でみていたかテレビでみていたかの差にすぎない。

あのね、これって、主催者に利用されただけなんだよね。
安くもないカネも払っちゃってるし。

たぶん、コンサートとかだとオーディエンスに向けて「今日はきてくれてありがとー!」「あいしてるよー!!(笑」みたいなことをいうじゃん主役が。
でもあれね、ウソじゃないけどあれは「群集」にむかっていってるだけだから。アンタ個人にいってるわけじゃないから。

ただ数を集めたいっていうイベントに、まんまと乗っていく。
数合わせの飲み会に、まんまと参加してしまう。

で、さらにサイアクなことに、自分もけっこうな満足感を感じちゃっていたんだよね。



これこそが時間のムダなんだよね。あーオレ気づくの遅かったー
こんな数合わせばっか優先して、学生の頃って飲みの誘いとか電話きても「バイトだから」「カネねーから」ってけっこう断ってた。これは数合わせじゃなくて、もっと少人数の、ピンポイントの電話とかね。

優先順位が、真逆だったんだよなあ。。


でね、時間は経過し、オレもオトナになり。。いろいろなことがわかってきて。

それより大事なことってわかる? まず、家にいることだよね。子供はオレが家にいることを望んでいる。強烈に望んでいる。だから、それを実現させる。家にいるっていうのはひとつのたとえだけど、近くの公園で一緒に遊んであげるだけで強烈に喜んでくれる。

それともうひとつは、親孝行ね。うちは、親がまだ健在だから。オレといることを強烈に望んでんのって、親だよね。
だから、そういうくだらないイベントとかにいくぐらいだったら親等の近い親族とともに過ごせ、と。

そういうことなんだよ。