元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

良質な生活習慣はひけらかさない

ameblo.jp

続けている生活習慣が良質であればあるほど、人生において勝利者となる可能性は高まるよ。ただし、いくつか注意点があってね。

まず、それは陰徳として行われるべきだね。すなわちひけらかさないことね。完璧にそうでなくともよいのだけれど。聞かれたら答えてもいいと思うけど。

次に、これは当然ではあるがその良質な習慣が長く続いていること。ま、「少なくとも」数年だわね。
でその頻度なんだが、まあ週一であっても続けてさえいれば悪くはないんだが、それが週二になり、三になり、平日すべてになり。。毎日続くのが理想だわね。あたりまえだけど。

そして、同じこと書くけどそもそもその習慣が「良質」であることね。
良質とはなんだよ、って、聞きたいよね? 当然。良質とはね、まず「悪質でないこと」w

いわゆる「一般的」に考えて、これはあんまりよくないんじゃ。。ってぴんとくること以外は、良質候補である。

マクドナルドのポテトを週に三回食べること、は、「一般的」に考えて悪質だろうが。「どう考えても」。

そこで「いや!ポテトにも効能が」とか余計な反論しだすヤツはそもそも勝利者になぞなれない。

その、良質候補のうちみんなが潜在的に「続けたい」(けどほとんど続けられない)と感じている習慣こそが良質。

たとえば早起きだったりね。野菜をたくさん摂るだったり。笑顔を多くするだったり。

きわめて「一般的な尺度」でいいんだよ。
マイノリティにならなくていいの。

オレは日当たりが悪くて掃除もしない部屋にせんべい布団敷いて暮らしたいとはまったく思わないが、そういうじめじめした環境に住むことを好む人間もいないことはないだろう。でもそういう人間はマイノリティだろどう考えても。

ま、それは「自由」だよ。この国においては。でも「悪質」な習慣をね、週3とかで数年続けちゃうとね、その人の人生はゆるやかに崩壊に向かうわね。

ただ、ゆるやかなまま崩壊せずにふつーに死んじゃう人もいるわね。たとえばタバコを吸うヒトが必ずしも早死にするとは限らない。

タバコを吸うヒトがいたとして、夫婦も子どももスモーカーで、みなで笑顔で幸せに暮らしてれば、だいたい長生きするもんだよ。


ホントに良質な習慣であれば月一とかでもいいんだけど。。でもさ、人間って良質な習慣と悪質な習慣とがまちがいなく共存してるからさ、良質な習慣が少なかったり頻度が少なかったりすると100%悪質な習慣に駆逐されちゃうのね。

だから、当然「成果」は出なくてさ。10年20年続けても成果が出なかったりするわね。かわいそうに。


だからね、勝利者となるためには人生のほとんどの「時間」を良習慣で埋め尽くせばよいということ。常に悪室な習慣を駆逐する意志をもち、実践している人が勝利者となる。
悪質な習慣に対して「まいっか」となっている状態がサイアクなのよ。
「実践する」とは悪質な習慣がなくなるまでやるとはいってない。常に「実践」の姿勢をみせるってこと。
「神」はみてるぜそれ。

同じことだけど勝利者っていうのは、とある「やろう」と思った習慣が間違いなく良質な習慣であることだ。「やろう」と思う習慣がイコール良質な習慣でないヒトは、かわいそうだけど勝利者にはなれん。

たとえばジムでトレーニングをしてその後肉料理とビールがセットの人は勝利者にはなれんよ。いまブイブイいわせてたとしても、人生長いよ~
この合わせ技の習慣は、はっきりいってサイアクに近いからなあ。(ただし!この「肉料理とビール」がね、いつも友人知人と楽しく、ならまた話は違ってくるんだよ。)

良質な習慣を続けるために、強い意志とか忍耐力はあたりまえのように必要。

この話と絡むんだけど、もうひとつ最後に。
勝利者ってのはうま~く、良質な習慣の中に「楽しい」というスパイスをいれてんだよね。これは、はっきりいってセンスだね。

良質な習慣ってのは必ずしも一般的には「楽しい」ものではないことが多いからねえ。単調だったり、地味だったり。さらに最初書いたとおり基本的には陰徳であるべきだから、誰にも自慢できないしね。「陰徳」というハードルで脱落していく人は多いのかもね。

でもね!たとえ楽しいことであっても、それを「続ける」だけで大変なことなんだよね。