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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人間は考えるということを放棄したのだろうか

2014年07月 人間学

ameblo.jp

人間は進化してゆくタイプの生き物である、と信じて疑ってない。極めて楽観的。

進化は、今もしてるし、間違いなくこれからもしていくのだろうが。。

”wise”ね。オレの望む方向性はね。「賢人」。
賢人には、なれるのだろうか? と。オレ個人が、じゃないよ。人類が。


進化っていうのは、人間という集団の「平均値」を押し上げていくことにより推進されてるような気がするんだな。
はっきりいってしまうと「バカが減る」ということ。平均値が上がるとはそういうことなんだ。
賢人が増えるということじゃないんだな、残念ながら。

んーバカが減るとは「均質化」? だよねえ。


なんでこんなことを考えるかっていうと、テレビ(ざっくり1950頃)→パソコン(1995)→スマホ(2008)と進化の「革命」がきてさ。。

これから人間どうなっちゃうんだろう? なんてガラにもなく考えたりしてさ。ここ数年。

だってさ、ぱっと見、人間がなーんにも考えなくなってるように見えない? 要は「バカになってる」と。

でも、これをオレとか世論がどんなに憂いたところで、それがオレたち人間の望む方向性だから、世の中そういう革命が起きてきてるわけであって。
人間は考えたくなかったんだよ。言い方変えれば、何かに代替してもらいたかったんだよな、考えるということを。

もっといってしまえば、バカになりたかった(のか?)と。


考えなくなるってことは”WiseMan”が減るってことでしょ。ふつーに考えればね。
いやでもね、産業革命以降、テレビの出現までは、人類においてWisemanは激増したわけで。

だって2000年前は孔子ブッダとジーザスぐらいしかいなかったんだから(笑)
日本だったら伝教大師親鸞法然の時代とか?

つまり、Wiseの裾野がほんのちょっとだけ拡がって、まあ庶民とはいわないが庶民のちょっと上のアッパーレベルまで学問ができるようになってさ。
その学問のやり方はたぶん意気込みがハンパなくて。
でいっきに(相当省略するが)第二次世界大戦まできちゃったわけだ。つまりそのWiseさを「大量殺戮」に使ったわけだな。

で、テレビの出現とともにしぼんじゃったのかなあ?
テレビの出現ってのは世の中が厭世的になってきたのと時期を同じくするのかねえ。

おっと、話がデカくなりすぎた。

あのね、Wiseってのは「情報処理能力」じゃないのよ。PCだののギアに、すべてを委ねることなく人間自身も情報処理能力は格段に上がってるよ。
でもさあ「そこ?」って。
人間それでいいの? ってね。

オレがイメージするWisemanってのはシンプルで「考えぬく力を持った人間」のことなんだよね。
そういう人間は「明らかに!」減ってるっしょ。これは、間違いなく。
だってそれを放棄してるもん、人間。
なぜ放棄しちゃったんだろう?

人間そのものの進化がね、1950年代で終わっちゃって、今現在は下降線をたどってるとは思いたくないんだわ。この時代を生きるものとしては。

世の中が進化していって、人間そのものも堕落せず進化してゆく道というのは、あるはずだ、と。
それを考えていこう、このブログで。