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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

人生って面白い。

2014年07月 幸福(豊かさ)論

blog.goo.ne.jp

テレビの向こう側の人とか、オレの知り合いでもそうなんだけど、なまじっか「うますぎる」がために(「プロ級」ではあるがプロほどうまくない。。)後々大損するということが往々にしてあり、人生って面白いなあって思う。

つまり人生とは単純に技能の優劣ではない!だからオレみたいな凡人も希望を失わずに生きていってるわけ。

特に面白いと思うのは今書いたとおり、ほとんどプロ級、っていうようなヤツがね、たとえば傲慢になって練習しなくなって堕落したりとか。。
性格悪くてキラわれるとかね。突き抜けたいのだが突き抜けられないために、人生そのものもハンパで終わってしまうという。

才能におぼれちゃうわけね。才能におぼれるヤツは100%堕落「してくれる」のは正直、ざまみろって思うな。

こういうヤツは当然「幸せ」にはなれない(どころか、他人を巻き込んで不幸にしやがる!)。

結局「小市民の幸せ」っていうのはほとんど最強、無敵であって、小市民の幸せは当然小市民じゃないとゲットできないという。。
いわゆる「プロ級」のヤツって小市民を拒否するから。当然小市民の幸せも拒否するかたちになる。

小市民の幸せってのが他の数多の幸せよりも最強ってあたりが、「人生捨てたもんじゃない」って思うわけね。


あ、そうそう似たような比較なんだけど、幸せ順ってガキの頃の成績順じゃない。成績順「じゃない」確率が100%だから、先ほどと同様、オレら庶民はガキの時分に希望を失わずに生きていける。

ではなぜ、オトナはガキに対して勉強しろしろというのか? それは、成績じゃなくって、ふつーにアタマがよくないと幸せになれないからだ。
残念ながら真性バカはこの国では仕事はできない。仕事ができないとカネを稼げない。カネを(ある程度)稼げないと幸せにはなれない。


じゃあガキの頃に運動神経が良かったヤツは、その順番で幸せか? というとそうでもない。
ガキの頃のモテ順か? いやそれも違う。

つまり。。ガキの頃の「序列」はなんの関係もない!! 驚愕の事実。。

すべてはオトナになってから(いや、高校ぐらいから始まってるかな。。)の、その人の幸せになろうという努力次第。
その努力の方向性が間違ってると。。悲惨な目に遭う。

親は、子供に、努力の方向性を正しく教えなければならない。。口ではなく、自分の生き様で、ね。