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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

目標となる人

2014年03月 人間学 仕事公論

ameblo.jp

自分は目標となる人間の設定が間違っていた、というか、実際のところ目標となる方はいませんでした。
なぜいなかったかというと、自分の「目」のほうに問題があったわけです。
「誰も目標となる人間なぞいねえよ」と、いきがっていたということ。

実際、自分の人生をふりかえってみると目標と「すべき」方はたくさんいたような気がします。
でもそれは、今になって気づくことです。今の自分の「目」は、10年前、5年前とくらべて相当まともになってきたので。

でもその、過去の私と接点のあった方を現在の私の目標としてリセットすべきかというと、そうではない。
なぜなら、そのときの自分と今の自分とは違うからです。


良くも悪くも、目標となる方がいなかったので自分には指針がなく(と、思い込んでいただけですけど)
指針がないがゆえにけっこう自由な生き方をしてしまい(笑)
こんな人間に(笑)なってしまったわけですが、そのこと自体にはほぼ、後悔はなくて、
でもね、「目標とされる人間になりたい」というのは、けっこう思っているような。

いや、そうではないかも。
「なんか。。あいついいね!(少しうらやましい。。)」みたいな、そんな感じられ方?

そういうふうに他人に思われたい、という思いは、むっちゃくちゃ!強い。
そういう「感じられ方」が、「目標」という言葉が適切かどうかはわからないんだけど、
「あいついいね」って思われるということは、必ずしも品行方正とかそういうわけでもない。
下から上に見上げる感じではない。若い人たちのいうところの「リスペクト」かなあ?

若いヒップホッパーたちがもうおっさんのzeebraさんに対して感じる感情と同じなのかな。