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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

弱い心と、ふつうの心

2012年11月 超健康論

ameblo.jp

無意識には従わなければいけないと思っているのだが、残念なことに、これは無意識であると思い込んでいても、それはただの「意識下」からのサインであることが多い。

すごーくわかりやすく書くと
・無意識の例
いつもの通勤経路を歩いていたらなんとなく別な道にそれてしまった。駅までちょっとだけ遠回りになるが、そのまま歩き続けた。そしたら他人に道を聞かれて、わかる場所だったので答えてあげたら、ものすごく感謝され、朝から気分がよかった。
(こんなウマい話しがあるかどうかはわからんけど、あくまでたとえ)

・「意識下」の例
非常にキツいトレーニングをしているときに、ふらふら~っと水飲み場に歩いていってしまう。


どちらも、「意識上」の指令とは別なところから身体を動かす指令が出ているのは、間違いない。
だから、識別が難しい。

完全に識別せよとはいわないから、こういう「動き」がでてきたときに、「あれ? これはどっちだろ?」と一瞬考えることは続けてみたほうがいい。

上記の例をみてなんとなくわかると思うけど、後者は、自分の生の欲求から出ている。そして、自分の「弱い心」が発しているサインだということはわかるだろう。
でも、実生活でそれがわかるかっていうと。。なかなかわからんのだよ。

ところで、前者に対しては「なにがなんでも」「ゼッタイ」のレベルで、従わなければならない(MUST)。
後者については、実はどっちでもいい。弱い心から出ている欲求だからといって「甘ったれんな」とはねのける必要もない。
はねのけてもいい。

ただ、願わくば、はねのけるのということを聞いてあげるのと、半々ぐらいがいいのかな。べったり身体の甘ったれを聞いていると、心身の鍛錬にならんというか。。

いや違うな、後で悪いことが起こるような気がするんだよね。