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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

布置(コンステレート)

2013年10月 人間学 幸福(豊かさ)論

ameblo.jp

先日河合隼雄さんの本を読んでやっとコンステレート(布置)の意味がつかめてきたような気がする。遅すぎ。
先日偶然プラネタリウムにいったのも、遠因かもしれん。

布置する、という動詞が、星が散りばめられている夜の空に、星座を「置いてゆく」という意味なのだとすれば(仮に、ではなくこの解釈は正しいと思う)

星座ってもうきっかり決まっちゃってるんだけど、あれってかーなーり強引でしょ!
ホントはさ、人それぞれじゃない。どういう星座を描くかなんて。

だって、月をみて日本人はうさぎの餅つきであると「布置」したんだが、外国ではまったく違うはずだろう。

日本の古い人たちは決してあんな洋風な星座を「布置」してない。だいたいハープなんか知らねえだろって。


で、話の展開は強引なのだが! 人生なんてね、星空にどう自分の星座を「布置」するかでしょ。
日本人であれば、網走と石垣島では確かに星の見え方は違うだろう。東京では星はほとんど見えない。山にのぼるとダイヤモンドのように星が散りばめられている。

それぞれの環境によって星空の見え方は違う。だから、同じ環境にいる人間のほうが同じ星座を布置する可能性は高い。
でも、可能性は低いが、けっこう遠くの、まったく面識のない人間が同じ星座を布置する可能性はもちろんある。そういう人たちがどっかで出会ったら(出会ってしまったら)それは運命の出会いなんだろうよ。いや、男女関係だけじゃないよ。男子と男子、女子と女子もね。

東京では星はほとんど見えないが高尾山ではかなり見えるんだろう。でもね、星の配置は、同じだよ。ふんだんに星を与えられても、ほとんど与えられなくても、同じように星座を「布置」する人たちはいる。

南半球に住んでいる人間と北半球とでは、ほとんど星の配置すら違う。でも! 偶然、別な星の配列に対して同じ星座を布置する人もいるはずじゃない。

あえて具体的には書いてないけど人生なんてこんなもんだから。
かなり重要なことを書いたぞ!