元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

自営業だからツブされなかったのかな、なんつって

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ま、ツブされるほどの実力があるわけでもないのだが。

ここ数年、オイラはすがすがしい「自由」を感じているのだ。
それはもちろん、「責任を伴う」自由であるわけだ。

具体的にいうとウチの三男坊が生まれ、まぁたとえば子育てとか家事とかにさらにリスクを背負ってから、ますます「自由」を感じられるようになったというか。
不思議。3人目生まれて、具体的にすっげえ大変になっているにもかかわらず、だ。

親は健在だが、親にはすでに「引導」を渡している。「仕送り」という名の。。
これはすでに、キラーアプリというか。。

親を半分養っているのだから、親に対してオイラのやることに有無はいわせない。
カネを送ることにより、親からも自由になった。(それは、悲しいことなのかもしれないが)

オイラの場合(たぶん)何かの庇護のもとにいるのは、ダメなんだろうと思う。何かの庇護のもとでなければ(安心して)実力を発揮できない、というヒトもいるのだろう。ヒトはヒト。

オイラがどっかの会社に就職し、今ごろは管理職かなんかなっちゃってさ、仮に順風満帆だったとして親にも同じように仕送りしちゃったりなんかしていたとしても、この「すがすがしい自由」はゲットできていなかったはず。

そもそも「管理職」の時点でアウト。会社に拉致されているのと同じだ。(と、オイラは思っちゃうんだよね)


オイラがね、すがすがしい自由を感じながらも、一生懸命仕事してることで、ごくわずかではあるが周りのヒトの役には立っているのだと、思うのだ。

それはオレがサラリーマンで、死んだ目で管理職の仕事をしていたら得られなかったことだ(と思う)。

そう、オイラは我ながらけっこう仕事してるんだ。なんせ「責任」があるからねえ。

「自由な発想」は我ながらけっこうあると思ってんだよね。それが、ほんの少しだけど、他人を助けたりしているような気がする。

これは、たぶん、「自信の萌芽」ってやつなのだろうな。