元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

鷲田清一さんとの対談

 

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鷲田(清一)
こうやってコミュニケーションというか、会話しているときでも、つい相手の漏れてくる言葉が待てなくって、先に、これはこういうことなんじゃないの、とか、解釈してしまう。迎えに行くという言葉ではいえなくて、先にじれったくなって。
河合(隼雄)
やはり掴むんですよ。
鷲田
掴むことで聴けなくなってしまう。(略)先生でも、聴けない、なんて思われたことはあるんですか。
河合
それはやはり長い修練の結果でなくなってきたんです。(略)長く長くやってきたから、ふわーっと聴けるんですけど。それは本当に長い修練ですね。初めのうちは、聴くより先に言いたくなっちゃう。
鷲田
やはりそうですか。
(略)
相手から言葉がもれてこないで、沈黙に耐え切れないで、ついその沈黙を破る言葉を入れますけど、それはしてはいけないと言われまして。どうするんですかと聞いたら、ワンクッションおいて「今何考えてました?」って、ぽつりと訊いたらいい、と。なるほど、臨床の先生はすごいなあと思ったんですけど、それがメソッドになったらだめで。
河合
だめですね。
鷲田
「今、何考えてました?」と言っても、かえって見透かされて。
河合
そう、それは聴かれた方は非常に腹立つでしょうね。相手によって違いますしね。ただ、大まかにいえば、相手が出してくれた世界の、そこから私は勝手に出ない、と思っていたらいい。たとえば相手が「僕は高校生です」と言うでしょ。だまって聴いてるふりしながら、心の中では喋ること考えてる、それではだめで、そこに生きていないとだめ。生きてるいうことは、やっぱりちょっともの言わんと、生きてられない。そのときに、向こうの提示した世界の外のことは言わない。「いやあ、高校生でしたなあ」とか言うてるわけ。「そうなんですよ、高校が嫌いで」とか言うたら、また入れるでしょう。難しい子は、「高校生ですね」「はい」で終わる。続かへんのです。そのときに「なかなか学校に行けなくてねえ」と引きうける。それは本来向こうが言うことでしょう。僕らの言葉は、どっちが言うてるのかわからないような言葉になってる。あなたは学校行ってないんですね、じゃなくて、いやあ、学校行けへんなあ、みたいな。そうするとだんだんそういう世界に入ってくるから、ふっとものを言いたくなるんですね。言ってくれたら、それについて行けばいい。でも、そこまでがなかなかできないんです。外からもの言うのは楽でしょう。「学校行けないのはいつからですか」とかね。「もう二年ですか、長いですなあ。そろそろ行ったらどうですか」なんて、向こうが言うてないのに、こっちがどんどん言ってしまうわけですよ。
鷲田
そういうクライアントの外から出ないということで、クライアントが逆に、自分の意志を幽閉しているところからポロッと出る機会を与えられるというわけですか。
河合
そうそう、一緒に言うわけだから、相手も出やすいわね。パッと出たら、また着いて行けばいい。そうやって世界は広がって行くわけですよ。
鷲田
ああ、それでわかりました。ある介護施設の方が、昔学者だった痴呆の方が「講義に行くから」と言うので、「何時からですか、授業は」と合わせた。相手の方のその世界に入って言うから、相手の方も「いえ、もう退職してます」と言う。
河合
そうなんです。こっちから入っていくと、相手は外から見ることができるわけですから。客観化できるわけですよね。だから「いや、そんなんじゃないんですよ」と言える。
鷲田
すごい、妙な世界。