元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

一杯のビール

ameblo.jp

もちろんオレも含め、だけど、オレらは仕事が終ってからの一杯のビールのために働いているわけで、
※オレはビールは飲まない、ワインだ、とかいう「重箱隅男」「重箱隅子」がいるかもしれないが、それぐらいわかれよってことでとりあえずスルー

なので、目的がそういうところでなくてもっと崇高なところにある、みたいなことを言い出す人間は信用ならないわけね。ま、いわゆる「世のため人のため」系?
大きな志でもって「でっかい仕事」をしたい、とかさ。
あー、アヤしい。

「大義名分をふりかざす」に非常に近い感じ。そういうヤツってすぐ体制側に組み込まれる。つーか組み込まれたくてしょうがない。

なぜなら、そいつらがいってるでっかい仕事っていうのはさ、ほぼ、体制側に入らなければ実現できないものだからだ。

ま、それを全否定するものではない。大志を実現するためにはたくさんの人間を巻き込まなければならない。政治力も必要であろう。

ムカつくのはさ、その、「体制側に入る」が目的化しちゃってるヤツね。そういうヤツが多すぎるんだよなあ。
「『とりあえず』いい大学に入って大きな会社に就職せよ」と子供に吹き込む親がまさにそれ。

その向こうがない。子供の向かう先がみえているのであれば、はじめて「いい大学に入って大きな会社に~」は効いてくるんだ。子供の(いわゆる)「夢」とその過程の実現とは、セットでなければならんのだよ。

でも、もう数十年も前から、世の中の親のほとんどがそうなっちまってるよなあ。


その日その日を一生懸命働く、生きるために。家族を養うために。で何が悪いのか? それはそれで完璧ではないか。

ただし! 一杯のビールはOKなのだが、その日その日の仕事の愚痴をいうために働いてるようじゃ。。ダメなんだよね。ぐっとこらえるのだ。