元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

武田邦彦さん

ameblo.jp

社会短評・・・感心しない熟年旅行団体(私も含めてですが)

旅をする機会が多いので、修学旅行の生徒、若い人の団体、それに熟年の旅行団体に遭遇することがあります。公衆道徳という点から採点するなら、最悪:熟年、まあまあ:若い人、比較的純情:修学旅行、という感じです。

最近はあまり言われなくなりましたが、よく「近頃の若い者は」と言いますが、私には(私を含めて)熟年がもっとも悪いように見えます。なんと言ってもその「傍若無人ぶり」が目につきます。

お年を召しているから仕方が無いところもありますが、まず第一に服装が汚らしいという点があります。一人ひとりは一応、ちゃんとしていても集団となると酷いことになっています。これはデザイナーの問題でもあるでしょう。

自分の服装は自分勝手ではありますが、それでも集団が動いていると、「異様な感じ」とか「汚い」というイメージですと、街の雰囲気に影響を与えます。黒、薄い茶などをメインにした服装は集団ではどうも問題です。

第二に「うるさい」ということです。熟年の集団と一緒になるとまずあきらめなければならないのは「静かな空間」です。男はお酒を飲んで大声、女はしゃべり通しという状態が普通です。

特に、ヒコーキや列車で熟年団体と一緒になると、降りるまで喧噪の中にいなければなりません.グループの中の道徳は守っているようですが、グループの外は全く見えないという感じです.「俺たちは老人なのだから、何をやっても良いのだ」という態度がグループ全体にみなぎっています.

かつて農協団体が海外で顰蹙を買ったことがありましたが、まさにその現代版が熟年旅行団体のように感じられます.上品で綺麗な団体に見えるように、なにか私たち熟年で相談し、研究し、尊敬される熟年になりたいものです。

このブログで今の熟年層がどのような日本を子ども達に残そうとしているのかを描写しようとしています。そこに示されるものは熟年団体の身勝手さ、醜さと共通しているように感じられます。

確かに戦後、日本の復興にあたってよく働いてきたのは確かですが、だからといって年金も、核廃棄物も、沈滞した日本も、就職先のない産業界も、同時に子ども達に引き継ぐのは合意できません。

最近まで私は高度成長を支え、控えめだった日本の熟年に敬意を表してきましたが、どうも問題があるのではないか、このブログの連載のように子ども達にあまり良い社会を引き継ごうとしていない様子に疑いを持ってきました。やはり我々、熟年層はさまざまな意味で子ども達のことを考え、自らは遠慮する存在でなければならないと思うからです。