元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

本当の健康法とは

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 本当の健康法とは、最初に結論を申し上げれば、たぶん「生き残っているもの」なんですね。

 スパンとしては「(最低でも)数十年」でしょうね。現在星の数ほど出まわっている健康法は、残っているようにみえてもまだまだ日が浅いかもしれません。淘汰を待つ必要があります。

 昔からの健康法だから正しい、最近ぽっと出だから正しくない、とすぱっと切り分けることはできません。医療技術等の進歩により、最近やっと分かってきたことは、たくさんあります。

 ただし、新しいノウハウもたくさん生まれていますが、技術や医学が進化した結果として「やっぱり先達の叡智は正しかった」という結論になることも、たくさんありますね。



 例えば、反対意見がほぼ皆無のもの。有無を言わせないもの。以下のような。

早寝早起きする
野菜を食べる
日光にあたる
朗らかに暮らす

 これらに対して、反論はあるのでしょうか?上記の4項目に対して、「~すると、不健康になる。なぜなら~」と、証明できる方はいらっしゃいますか?

 21世紀に入り、これらはますます「鉄板」になってきているような気がしますね。と考えれば、多くの方は、「何が正しいか」は分かってきているのです。それをやるかやらないか、だけの話で。



 昔流行った、若い人たちの「自分探しの旅」においては、彼らは成人しても「何が正しいのか」が分からないままである、といいますか、若さゆえにそれがおぼろげであるがために、それをはっきりさせるために「旅」に出るわけです。ということは、それが分かりさえすれば「旅」は終わりを迎え、若者は正しい方向へ向かって邁進するようになります(邁進したくなくとも「旅」が終われば、進まざるをえなくなる)。

 ところが、最近「自分探し」が流行らないのは、(ここからは私見ですが)「旅」に出る必要がないからなのです。「何が正しいのか」の答えはカンペキに世の中に出揃ってしまっています。(「情報」として)しかも、答えは1つではなく、人それぞれに用意されるものであることすら「世の中」は分かっています。

 極端にいえば、ググれば出てきます。



 というわけなので、クレバーな若者にとってはこんなカンタンな世の中はありません。「自分探し」のプロセスをすっ飛ばして、ショートカットで「何が正しいか」を認識し、それに向かって爆進してゆきます。最近の若者をみていると、たまに「とてつもなく頭がキレる」人がいますが、そういう人は迷いなく、世の中が用意したショートカットに最初から素直に乗っている人です。

 最近のスゴい若者は、ひと昔前のスゴい若者より相当スゴいですよ。まぁオールドタイプな方々は「苦労が足りない」とかぼやくのかもしれませんが、本当に「レールに乗って」爆進している若者に「苦労」という名の置き石は必要なのでしょうか?爆進するのを邪魔せず、そのままはるか彼方まで突っ走るのを暖かく見守ってあげれば、よいのではないでしょうかね。



 でも、そういう選ばれた若者はほとんどいませんので……。最近の「普通の若者」は、「(自分なりの)何が正しいのか」の答えがはじめから用意されているがために、「分かっていても、やらない」状態に陥ります。

 ひと昔前の若者は、世の中が半端に複雑だったがために「(自分なりの)何が正しいのか」がよく分からず、それを明確にする作業が必要でした。ですので、ある程度苦労をして「何が正しいのか」がわかったならば、それを大事にしました。

 現代は、世の中がさらに加速度的に複雑になったがために、逆にそれのカウンターとしてこの世の中を生き抜くための「答え(模範解答)」もそのへんに転がっています(いわゆる「マニュアル」とよばれる類のものです)。先ほど書きましたとおり、模範解答は1つではなく、多岐にわたり用意されていますので(「余計なお世話」といってよいぐらいに!)、若い人たちはその中から自分に合うであろうものをチョイスするだけです。

 そのへんに転がっているがために、今の若者は、大事にしないのです(「石ころ」扱い?)。

 大事にしないがために、たくさんの選択肢があるのに、チョイスに失敗したりします。



 で、やっと「健康法」の話に戻りますが……。

 「何が正しいのか」はもはや誰もが分かっている。でも、ほとんどの人はやらない。ので、「なぜやらないのか?」を考えなければなりません。

 私もよく若い人に口癖のように言いますが「分かってんならやればいいじゃん!」というのは、もはや愚問になってきています。

 「分かってる」イコール「やれる」(スタンバイOK!)状態ではないのです。



 私が、とても不思議に思っているのは……「『何が正しいのか』はもはや誰もが分かっている。でも、ほとんどの人はやらない。」ここまでは分かるのです。が、正しいことを分かっているのに、「正しいらしいこと」に手をつけるのが、分からないのです。

 例えば、上述した鉄板の健康法が正しいと頭の中では理解しているにもかかわらず、なぜかみのもんたの番組にそそのかされて(失礼!)「毎日バナナダイエット」に走ってしまうとか……。

#すみません、実はみのもんたさんの番組はみないので、てきとうに印象で書きました

 正しいことを分かっているのに、天邪鬼に、「正しくないこと」に手をつけるのなら、分かるのです。なぜなら、それは「人間だから」。「テストの前日になぜか押入れの中に埋もれていたマンガを引っ張りだして全巻読んでしまう」理論で説明できます(笑)。

 健康法の話に引きつければ、正しい健康法は分かっているのに〆のラーメンは欠かさない、とか、夜中に焼肉を食らうとか。反動で「そっち方面」に走るのは、すごくよく分かります。

 でも、「正しいらしいこと」に手をつけるのが、私に分からない。それは、明日数学のテストなのに理科の勉強を徹夜でやるようなものです(ゼッタイ、やらなかったですよね!)。

 いっそのこと何もやらなきゃいいのに……。