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元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

「感受性豊か」が間違って意味が広がっている

2012年06月 人間学 幸福(豊かさ)論

tatsuzawatokyo.blog.fc2.com

なんでもかんでも世の中の森羅万象に対して感情を揺り動かされるのが「感受性豊か」と思っている人間のいかに多いことか。疲れない?

さらに、教育でも「間違った感受性豊か」を正しい教えてしまう。だから、教室が崩壊する。
美しいものをみて美しいと感じるココロは確かにたいせつかもしれない。

醜いものをみて「うわっ醜い!」と感じるのは自然だ。だが、それを声高に発言、主張する必要があるのかっつー話よ。

だいたいさー、たとえば醜い人間がいたとして、「アンタ醜い」っていわないよねふつう。
でもさ、へーきで、噂話として「アイツ醜い」っていうよね。もし本人がいたらきっと傷つくであろうことを。

それをいう自由は人間にはないと思ってんのよ、俺は。本人に「アンタ醜い」っていえないのだったら噂話で「アイツ醜い」っていうなよって。なぜ言わなきゃいられないの? 他人の陰口を。
それが俺は、すごく不思議なんだよね。そんなのカンタンに、自分の胸のうちにしまっておけるじゃん。そして、カンタンに忘れられるよね。他人のことなんて。


ちょっと話がそれた。。

たとえばね、楽しいことがあったらおもいっきり「楽しい!」「幸せ!」と。ネガティブなことがあったら、思い切り泣けばいいと思うのよ。ただし! 他人に迷惑をかけない範囲でね。自分で消化すればいいの。
それが難しいよね、確かに。楽しいことはシェアすればいい。楽しくないことは自分でしまう。

ポジティブもネガティブも周りにぶちまけなければならないという義務は、どこにもない。

ポジティブだけシェアしてネガティブはしまっておく、ということができないヤツは(それができないってのはけっこう問題だが)
もっと淡々と日々を過ごせばいいのだ。ポジティブに揺り動かされなくともよい。そのほうが世の中の害毒にならない。ポジティブなことも自分でかみしめておけばよい。


もともと、人生はそんなにダイナミックでなくともよいのだ。凡人の人生は平凡だ。