元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

楽しんでやってるわけでもないです。淡々と。

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ふだんからかなり質素な生活をしていて自他共に認めるアナログ人間なわけで、

いざというときをのぞき金はそれほど出てゆかないのですが、それは何かを「犠牲にして」いるわけでもない。

かといって、最近はやりの「楽しんで」いるわけでもない。(毎日毎日「楽しんで」なんて、疲れそうで。。)

別に毎日淡々と過ごしています。いちいち感情の起伏を起こさない。起こしてなぞいられません。消耗してしまいます。

それはなぜか?

なぜそういうふうにできているかというと、自ら自分を選んで(ひっぱりあげて)選民になろうとしているからなのです。

そのために必要なことを淡々とやっている。なぜかというと、それが長い年月がかかるということを知っているから。何年もかかるのに毎日毎日悲しんだり喜んだりしながらやるわけないのです。

やるだけでいい。

これは僕のオリジナルじゃなくて中村とうようさんに教わったことなのですが、他人に選ばれるよりも自分で選ぶほうが容易だ、と。

今、この瞬間にもそれはできる。

できるのですが、実際問題自分を選ぶのであれば、自分がぐうたらでイヤなヤツだとしたら、いくら自分でも選ばないんじゃないでしょうか?

と思うと、ある程度自分の理想を掲げて、少しでもそこに近づこうとしている「自分」を選ぶんじゃないのかな、と。