元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

僕はヒマ人が好き(6)

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ずっと書いてきてどんどんわかってきたのですが、僕はここ数年来、自分がヒマ人であることをかなり気にしてたんですね。

かなり鬱屈がたまっていたのでしょう、「下にみられる」ということに。



自称ヒマ人な方というのがいるのですよね。だいたい(予定は)空いてます、およそいつでもヒマです、いつでも誘ってください、みたいな。

で、実際そういう方を誘うとだいたい空いてない(笑)。

「たまたま今日は」作業があるとか会議があるとか取引先との飲み会があるとか。はたまた風邪をひいているとか「そういう気分じゃない」とか。。

空いていたとしても「いけたらいきます」とぜんぜんノリ気じゃなかったり。(「いつでも誘ってください」のはずなのに!)遅れたり、あげくのはてにドタキャンするので、やがて誘わなくなります。

そういう人は複数方面に対して同じ応対をしているはずで、どこからもだんだん誘われなくなるわけですから、自分が「空いている」と感じるのも当然なのかもしれません。

それどころか、高い確率でやんわり断るくせに、ハブにすると「なんで誘ってくれないんだ!」とキレ気味だったりする人もいるわけで、そこまでくると手におえません。



自称ヒマ人な方は、おそらくご自身の時間管理が間違っているのでしょうね。

時間管理ができない人はいつでもイソガシイイソガシイいってます。なんかおかしいですよね? ビジネスアワーではイソガシイイソガシイ、誘われると「いつでもヒマです」。

つまり、プライベートの予定をたてられないのですよね。常に、残業の危険性をはらんでいるから。そういう仕事の仕方をしているから。


ヒマ人とはヒマが「有る」人です。(あたりまえですが。。)で、なぜヒマがあるか? ですが。

ヒマ人というのは、いわゆる「有閑マダム」のような、仕事もなくリアルにヒマを持て余している方もそうなのですが。。今回はスコープから外します(笑)

一般的に、ビジネスマンでうなるほどヒマが押し寄せてくる方というのは皆無なので、ヒマがあるビジネスマンイコール、ヒマを「つくっている」ということになります。

時間をつくる、とは微妙に違います。なぜなら一般的なビジネスマンの方は時間をつくってもそれをすぐ食べてしまう(=「予定を入れる」)ので、時間をつくってもヒマをつくるに至らないのです。いや、そもそもヒマをつくることに価値を見出さない方がほとんどです。

でも、常に時間が欲しいという。常々時間が欲しい欲しいといっているのにヒマをつくることに価値を見出さない。それどころかヒマをつくっているヒマ人たちを下にみる傾向がある。なぜに?(ここ、重要)



ヒマ人になるためには時間を空けなければならない。そのためにどうするか? それは、カンタンにいってしまうとムカシに戻るということですね。

ムカシに戻るということはアナログに戻るということです。

それを「理想論」というなかれ。完全にムカシに戻れということではありません。部分的でよいのです。



ウチの父親は、仕事から帰ってくるとビール飲んでナイターみて飯くって風呂入って、あとは寝てました。シンプル・ライフ。いつも同じ行動。朝はかなり早く起きて、自宅の畑で野良仕事してました。そういう生活。

揺るぎない日常。

日曜はゴルフかゴロ寝。土曜は半ドンで、けっこう麻雀したりしてました。残念ながら、子供と戯れる、というタスクはほとんど頭になかったようですが。。 それもまた「昭和の父親」らしいというか。

うちの父親はやりませんでしたが、よその父親とかふつうに日曜日の半日以上パチンコいってたりしてましたね。パチンコにいけるってことはよっぽどヒマってことですよね。

パチンコは行かないにしても、毎日毎日飽きずにジャイアンツ戦みてるわけですからねえ。ビール飲みながら。。2.5時間ぐらいでしょうか? ヒマですよねえ。。

でも、若干うらやましかったりもします。たまに。僕は、そういう日常から脱したくて上京したはずなのに。

ナイターをみるのが羨ましいとかそういう各論じゃなくて、オトナになってみると、なんの疑念もなく「揺るぎない日常」をやすやすと確立している人たちにあこがれます。そこには、本人は意識していないかもしれないけれど、清々しい「諦観」がある。若い時分は、それがスゴいことなのだということに気がつかないのですね。



昔のビジネスマンは今と比べれば時間に追われなかったのです。それは、ケータイとPCがないのですから、当然ですよね。

本当にヒマが欲しかったら、部分的にでもそういう時代に戻ることです。具体的には、意識的、かつ徹底的に、オフラインの時間を捻出するということ。

「そんなのできるわけない」と脊髄反射的に感じた方はもはや中毒ですので、終了~だと思います。このまま時代の流れに「転がされ」続けるのだと思いますが、それはそれで心地良いものです。(たぶん)



僕は、最近感謝しているのですが、この業界にいるだけで「アナログ野郎」が個性になってくれます。

数年前ぐらいに(やっと?)いわゆる「ネットサーフィン」依存から脱することができてとても自由になりました。携帯は休日は(基本的に)持ち歩きません。

自然と、電車の中では本を見ることになります。読書量は、世の中がアナログな時代と比べてもあまり変わっていません。また、僕が携帯を持たなくとも、すでにスマホを手放すことができなくなっている家内が一緒にいることが多いので、困りません。



同じような理屈で、ちょっと話がズレますが、車は近くにタイムズがたくさんあるので、使いたいときにレンタルします。だから車に関してはメンテナンス・フリー。(かかる金も、時間も)

僕はケチだという自負はありますが、全方位的にケチではないです。カネがないからケータイを買い換えないわけではないしカネがないから車を持たないわけではないように思います。要は使い方。

親戚が上京してくるときとか、けっこう飲食や観光等に散財します。残らないものに金を使って後悔しないタイプです。

ケータイやPC系のギアにふんだんに金を使い、どっぷりと日本経済に貢献している人たちは、それ以外のところでけっこうケチなような気がするんですよね。。居酒屋で一桁目まで割り勘するとか。。