元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

解放

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斎藤一人さんとかが提唱してる天国言葉(ありがとうございます 感謝しています とか)って、結局「本心を口にするな」ということではないのかと。

本心をごまかして常にウソをつけということではないのかと。

そう思ってしまうととっつきにくい。僕も昔はそう考えていたし、今でもかすかにその疑念は消えません。

身体や精神がネガティブなときでもポジティブな言葉を吐きなさい、と。そうすれば精神もポジティブに移行できますよ、と。
確かにそのとおりです。

だからそれを補完するのが、あの・・なんでしたっけ。

そう、「解放」なのです。
「認める」ってやつです。

たとえば自分は、さっきイヤなことがあり、さらに朝から体調も悪い、と。。

そんなときには、自分でぶつぶつ言うのです。「そうだね、体調が悪い上にイヤなことが重なって、大変だよねえ」と、自分を俯瞰してささやきかけるのです。

そのあとなのです、天国言葉の出番は。「でもだいじょうぶ あすはたぶんいいことあるぜ 人生はおおよそ、悪いことがあるといいことがあったもん だから、そういう法則が働いている世の中に感謝しようぜ」

と、そういう感じで。

未来をポジティブに予測するというのはだれでもやっていることですし、そこに「ウソ」はないでしょう。

さて、ここで「言論の自由」という新しい概念が登場します。
そもそも日本人には「甘え」があるから、「自由」という言葉をきけば「あ、いいんだ。。」と思ってしまい、いきなり愚痴がはじまるという。。

自由は、責任を伴うわけで。発言には、責任を伴う。
という現実から目をそむけているヤツは多い。。もともとそれは女性に多いですが、男性も増えてきている。

天国言葉にはそういう側面があるのです。アンタの愚痴なんざ聞きたかないっていうのは、不愉快になるからで、とある凡人は自由に発言して他人を不愉快にさせる「権利」までは有していないはずです。
でも別に愚痴じゃなくて天国言葉なら、他人に迷惑はかけないでしょう。まったくもって。しつこいのはちょっと気持ち悪いですけども。。

自分の言葉に責任をもつために、セーフティーファーストのほうがいい。知らず知らずに他人を不快にしていそうな言動は最初っからやめたほうがいいのです。

であるはずなのに、他人を不快にしそうな言動「から」まず、他人や社会に「甘え」ているがために、発する。それがおかしいといっているわけです。