3歳ぐらいまでの育ち方で人生のエンディング決められてたまるか
自分の人生、特に習慣は、自分でどうにでも変えていけるわけで、そういう意味では人生の結末なんて決まってるわけないじゃん、と思う。
決まっているのは必ず死ぬことだけであって(あれ?という意味では決まってるかぁ~?w)。
決まってるのは所与の。。なんていうの? たとえば自分は男である、とかさ、東京都○○の○○病院で生まれた、とかさ。
誰と誰の間に生まれた、とかさ。
そんなの、変えられないのはアタリマエだよね?
それから、物心つくまでの状況も、変えられない。子供には、変えられない。
ここまで、3歳ぐらいまでの育ち方で人生のエンディング決められてたまるか!!!(怒)
ここまでで「ほとんど」人生が決まる、とかフザけたことぬかしやがる教育の本とかあるからさー
物心ついてからオトナになるまでは、オトナ(ほぼ親)の出番。親が、その子が幸せになるためにいろいろ腐心する。
精神的なよちよち歩きだわね。
ここぐらいから、変えられるよ。本人が意識するかどうかはおいといて、どうやって変えるかっていうと、親に影響を与えるわけ。
いろいろな方法で。それは反抗かもしれないし甘えるという手段かもしれない。
オラ東京さ行くだ、と強硬に主張して、多くの田舎の若者は自分の人生を変えてきたわけだろ?
まあそれはいいんだけど。今日書きたかったことはね。。
なんかしんないけど、「サイアクのエンディング」は決まってるようなんだよね。まぁたとえば交通事故死とか?
いや違うな。なんていうんだろ、交通事故死ってあまりに汎用的じゃん?
そうじゃなくて個別に、その人に起こりうるサイアクの状況、とでもいおうか。。
何も努力せず、怠惰に生きたらどうなるか、ってさ、みんな、うっすら想像できない? オレはできるけど。。
サイアクのビジョンって、誰でもイメージできるんだよ。でもそれって嫌じゃん? だから生活習慣を変えるわけ。
変えなければいけないわけ。
わっかるかなー