元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

ゼネラリストではない

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前回以下のように書いたのですが。。
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僕は以前から、これからはゼネラリストの時代なのかもな、と思っていたのですがどうも言葉に違和感があったのです。なぜなら、この国では「ゼネラリスト」という言葉の意味合いがとてもネガティブだから。

「なんでもそれなりにこなす(でも、ただの器用貧乏)」みたいな。

これからは「ゼネラリスト」ではない。「全人的存在」という言葉が、ぴったりきたのです。
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「全人的存在」という定義においては、何かひとつ抜きん出たものはゼッタイ必要です。

という意味でゼネラリストとは違うような気がしてきました。

それは必ずしも「スキル」である必要はない。

たとえば僕は「継続の権化」ですが、続けなければいけないことは誰もみていなくとも続ける。時間を守る。(あいつは時間は守る人間だ、という評価を得る)という点では、僕は僕が属する集団ではトップクラスであるという自負があります。

でも、こんなのスキルでもなんでもないのです。

別に、えらばれた人間でなくともできること。心がけ次第で誰でもできること。勉強しなくとも、試験をパスしなくともできること。

のはずですが、周りをみるとなかなかできていないようです。また、世代は関係ないようですね。

ゼッタイ遅刻しないから、会議に遅れないから、だから何? っていう意見も、あるでしょう。エンジニアは結果を残してなんぼだろ、と。

僕も、一方ではそう思います。でも、僕は僕なりに、結果を残すための最短距離であるに違いないと確信して、時間を頑なに守ったり、「継続の権化を継続」したりしています。そういうのが、ビジネスにおける関係性のベースとなってゆきます。

こういう小さなことを継続するというのは、実はけっこう難易度高いんだなっていうのは(この業界では)、最近やっと自分の自信になってきたところです。。


抜きん出るといっても、別に日本一になる必要はないのです。自分が属する集団で抜きん出れば、それでよいのです。その集団で重宝されれば。

重宝される、といえば「抜きん出た幹事業務」(笑)とか。。「幹事はあいつ」と任されるようになればしめたものですね! 幹事スキルはサラリーマンにとってホント重要です。そしていろんな方面に応用がききます。


ところで、

とある集団で、とある分野で抜きん出ている人は、そういう自覚があるのであればひとつの「責任」として、同じようにそれぞれの集団でトップクラスの「井の中の蛙さん」たちが集まるもうひとつの上のレベルの集まりに積極的に参加し、切磋琢磨するべきです。

なぜならば、そこで揉まれて、その結果を自分の属する集団にフィードバックする貢献が必要なのです。(それは、ある種の義務です)

いろんな分野で抜きん出ている人がいれば、それぞれがいろんな交流会の結果を自分が属する集団に持ち帰ってきて、結果その集団の品質が飛躍的に向上してゆくことになります。


選ばれた人たちが集まってより高いレベルで切磋琢磨する、というのは、日本のビジネス・シーンが世界に伍していくために絶対必要なのだと思うのですが、そういう場って案外少ないような。。。(僕が知らないだけかも)

卓越した幹事業務を行える人があつまる異業種交流会なんてあるのでしょうか(笑)。