元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

才能論(6)

ameblo.jp

以前、こういうことを書いたのです。

「ものすごく上手な子」の場合
「努力期間*努力の質」だけでなく
「努力期間*努力の質*天賦の才能」なのではないの?
と考える人が多い。(後述します)


「後述」してませんでした(笑

脱線しないように結論を先に書くと「天賦の才能」は「潜在意識の中にある(のでしょう)」ということです。
一般論でいえば潜在意識というのは全人類つながっているところがある(らしい)、ということであれば「天賦の才能」は全員にあるということがいえるでしょう。(あえて、ちょっとまわりくどい言い方をしました)

人間の行動というのが潜在意識に非常にコントロールされやすいのであれば、

努力期間*努力の質

を越えたもっと別なもの(潜在意識?)にコントロールされていることは自明です。
その「別なもの」を「(天賦の)才能」と言い換えているだけなのだと思います。

でも、イメージですが「天」という存在が、あいつにはサッカーの才を与えよう、あいつにはスケートを、とか、そういう考え方は200%間違っています。「天」というのは70億人だかの人間の一人ひとりのことを考えてはいられないはずです。

ですので、最後にここで「潜在能力」という言葉を使ってみたいと思います。
潜在能力というのは「意識下」にあります。(あると思います)すなわち、全人類共通の潜在「意識」よりも「上」のところでかつ「意識」の下です。
人間というのはおそらくそこにいろいろな「もの」をプールしておけるのでしょうね。ただ、最初から意識の下にあるので、「意識下」と潜在意識の間の交流をコントロールすることはできません。

わかりやすいたとえを出します。
かたや、旦那さんが元Jリーガー、奥さんもスポーツ万能。かたや、旦那さんはスポーツは大好きだが実力はそんなでもない。奥さんもふつう。この2家族から、同じ時期に男の子が生まれました、と。
前者は、おそらく自然に、よちよち歩きの頃からサッカーボールで遊ばせると思います。そして後者も、旦那さんがスカパーでサッカーを見るのが大好きで、子供をJリーガーにさせたい!ゆくゆくは日本代表へ!という思いが非常に強い場合、前者と同じようによちよち歩きの頃からサッカーボールで遊ばせたとすると。。

もちろん、ただ遊ばせるわけじゃなくて親もどんどん介入してサッカーを好きにさせようとします。前者はあくまで自然に、後者はだいぶ鼻息荒く。。

さて、小学校1年のときにふたりは同じクラブで出会いました。どちらが上手なのでしょう?

という問い自体が愚問であって、一概に答えが出るはずもなく、どちらが上手かというのはケースバイケースなのです。あるいは言い方を変えれば、さまざまな環境要素に影響されます。

前者の子が後者の子よりも飛び抜けてうまい場合も、真逆の場合も、同じぐらい上手な場合も、ありえます。どちらかがきわめて上手になっている場合、何が違ったのでしょうか?

ひとつ重要なポイントは、「何かが違ったのは間違いない」ということです。何か、片方の子が突出してうまくなってしまった理由は、あったはずなのです。

もうひとつは、そのふたりの「潜在能力」にほぼ差はないということです。潜在能力というのは可変であって、Jリーガーの子供だからといってサッカーの潜在能力がきわめて高いとは限りません。もちろん、平均以上ではあるのでしょうが。。

ふつうの親が、子供のモチベーションをコントロールすることにより、その子の潜在能力をJリーガーの息子並にアゲてゆくことは、可能なのです。

とある時点で、意識上で他人からみえるふたりの「実力」に差があるのだとすると。。先ほども書いたように、その子の人生の数年間のうちにいくつかトリガとなるできごとがあり、潜在能力の一部が上(意識上)にひゅっと上がってきたといことです。

ですので、その時点で意識上の「実力」に差があったとしても、後塵を拝している子も何かのトリガで自分の潜在能力を意識上に「ひゅっと」もってくることができれば、すぐ追いつきますし、追い越せます。
ただし潜在能力を子供が自分でコントロールすることはできません。ふつうの親もできません。コーチならばできるかもしれません。

潜在能力をコントロールすることは、おそらくスポーツ界ではかなりマニュアル化が進められているのでしょうが、素人の僕がいうのもなんですがそれをマニュアル化することは不可能に近いでしょう。

たとえばスポーツのマニュアル本や、子供の才能を伸ばすためには、というHowTo本がありますがあれで日本の子供の潜在能力がすべて開放されるのであれば。。日本はもっと変わるでしょうけども、HowTo本では何も変わらない。


ただし、ひとついえることは。。
さきほど挙げた例のふたりというのは、小学校1年生のレベルではかなり「うまいほう」に違いありません。
この玉虫色の結論は、実はかなり重要です。