元祖【ひとり公論】

誰かには必ず、ほんの少しだけでも役に立つに違いない、という意味での公論

才能論(4)

ameblo.jp

子供らの「体格」っていうのも実はほとんど後天的ですよね。(すべてが、とはいいません)
親が意識していないのかもしれませんが、「体格が良い」子供の場合は親がその子を体格を良くするために「エリート教育」を施しているわけです。。まぁ具体的にいえばカロリーの高いものを継続的に食べさせたりとか。
親が、子供の時分からカロリーの高いものを食べていれば自然と、子供にもそういうものを食べさせますので、意識的ではないことが多い。意識していないところに関して「遺伝」と決め付けることが多いのですがそれが間違っているのです。

体格に関しては先天的なもの(遺伝子?)があることは否定しませんがほぼ後天的なのではないでしょうか。
たとえば親がアトピーや喘息のけがあって子供もそうなった場合に、親はすぐに「悪いところが遺伝して。。」と考えますがそれは果たしてそうでしょうか? 親が、子供の時分から続けている生活習慣に欠陥があってそれが理由でアトピーや喘息になったのだとしたら。。まず、親自身がそれを認めたがりませんが、親が「欠陥」を意識していないのですから子供も同じ生活習慣になるわけで、そのまま子供が親と同じ症状を発症する可能性は、きわめて高まるわけです。

親がなんでもかんでも「遺伝」と考えてしまって自分の生活習慣を見なおさないこと自体が間違っているのです。親がそうであれば子供もそうなります。親の代でそれを断ち切らなければならないと思います。


さて。。(本題に戻る)
前回まで、たとえばよちよち歩きの時点からスポーツなりを始めさせて、スタートラインを早めておく話を書いてきましたが。。そこに「才能」の話を絡めるとすれば、その子の性格的肉体的特性にぴったりあったスポーツなりを、親が与えてあげるかどうかは、「運」です。
「運」と才能というのはきわめて類似した概念だと思います。
ほとんどの親は、それを「押し付ける」わけで、また、自分の子供とはいえ子供は一個の独立した存在なのですから、それぞれに「性格」を持っています。たとえば元Jリーガーが子供に1歳からサッカーをさせる、のはとても自然ですが、その子が奥さんの気質を引き継いでとても優しい子であったら、サッカーのテクニックは上達するかもしれませんが小学校に上がってから果たして伸びるでしょうか? ガツガツと削り合ったりするゲーム形式を続けていったら、途中でイヤになるのではないでしょうか。
この例でいえば、たとえば元Jリーガーと、音楽的才能を持つ方が結婚したとして男の子が生まれた場合親はサッカーをさせようと思うのは自然なのかもしれませんが、もしかしたら母親がリードしてその子に楽器をやらせたほうが大成するかもしれませんよね。そこが、「運」に左右されるところなのです。そして、それが「才能」でもあるのです。(まったく子供自身が意識していないところ)